拡張現実によって現実世界とデジタル世界が重なって存在する近未来の街を舞台にしたSF小説を書きました。
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第1話 存在が拡張されるとき
人は同時に二か所に存在することはできない。肉体が一つしかないのだからそれは当たり前のことだった。
しかし、複合現実テクノロジーが発展し、人々は仮想体「アバター」を操ることで幽体離脱のように肉体に縛られない存在となれる技術を手に入れていた。
MRMMO(複合現実多人数)対戦ゲーム「オーグメンテッドビーイング」は今や爆発的な人気を誇っている。
英語で、オーグメンテッド” Augmented”は「拡張された」、ビーイング” being”は「存在」という意味だ。
プレイヤーにとって、仮想世界は現実となり、ゲーム上の努力は現実の力になる。
平凡な大学生である「月村 直紀(つきむら なおき)」もまた、そのゲームの熱心なプレイヤーだった。
大学の講義が終わり帰宅した彼は、既に日が沈み暗くなった窓の外を眺める。
「オーグのプレイヤーも増える頃か…観戦に行こうかな」
オーグというのはオーグメンテッドビーイングの略称だ。
彼は机の上に無造作に置かれていた眼鏡型の装置「AR(拡張現実)グラス」とグローブ型コントローラーを装着し、自室の隅に設けられたランニングマシンのような装置に乗る。これは自身の肉体はその場から動かずにデジタル世界で自由に歩くための歩行装置だ。
オーグを起動した彼の目の前に灰色の衣装を纏った細身の男が音もなく現れる。しかしこれは、現実にそこに誰かがいるわけではない。ARグラスによって視界に投影されたデジタル世界の住人だ。そしてこの細身の男こそが、直紀がデジタル世界を生きるためのアバターなのだ。
ARグラスのVR(仮想現実)モードを起動する。VRモードとは、周囲の景色を遮断して視界一面に3D映像を写す(つまり、VRゴーグルにする)機能のことだ。
次の瞬間、直紀は自分がついさっきまで眺めていた灰色の細身の男になっていた。
部屋を見回す。すると、部屋の隅にある歩行装置に乗り、ARグラスを被って周りを眺める「月村 直紀(つきむら なおき)」がいた。
「何回やっても不思議な感じだ」
そこはもう現実ではない。オーグメンテッドビーイングが作りだす、現実と重なって存在するデジタル世界だった。
アバターは窓を開けて外を観察する。もちろん、現実の窓は依然として閉まっている。
彼は周囲を確認した後、窓枠に足をかけ暗闇に身を躍らせた。
XXXXX
一年前のある日。
僕「月村直紀」はオーグがリリースされるやすぐにプレイし、その虜になった。
理由は2つある。
第1に、その手軽さにあると思う。オーグは、ARグラスとゲームパッド(一般的なゲームコントローラー)があれば、例え仮想現実内歩行装置などのVRデバイスが無くても利用できる。もちろん、実際に体を動かすわけではないから没入感は減るんだけれど、家庭用ゲーム機のように操作できる。
第2に、アバターを操作していなくてもオーグを起動すれば、デジタル世界を見ることができる。つまり、他のプレイヤーとの交流や、戦闘の観戦ができる。
オーグのゲームシステムは、コンピュータが操るモンスターや他のプレイヤーを倒せばポイントが得られ、そのポイントを消費してアバターを強化、または、アイテムを購入/製作する仕組みだ。
でも、オーグはもはやただのゲームではなくなってきてる。戦闘に特化したアイテムがある一方で、現実とほぼ同じクオリティの世界であるために、この仮想空間を利用している個人、団体、企業も多い。
あらゆる人間がこのデジタル世界を利用している。
だけど、もし戦闘に負けたら、ペナルティとして一定量のゲーム内通貨と、武器などの戦闘用アイテムすべてを失う。プレイヤーに負けた場合は、失ったアイテムは勝利者の戦利品となる。
ちなみに、オーグには課金システムもあり、ゲーム内通貨を現金に換金することもできる。
年に数回開かれる大会では賞金がでる為、これで稼ぎを上げている人もいるんだとか。
でも、残念なことに僕は弱い。戦闘のセンスが無さ過ぎた…。
だから観察することを選んだ。現実をそっくり写したデジタル世界でアクション映画のような戦いを見ると、スリルと興奮を感じるから。
それから僕はアバターの衣装を灰色にした。
デジタル世界に出現するモンスターやプレイヤー対プレイヤーの戦いを観察するには、目立たない方がいいんだ。万が一、好戦的なプレイヤーに見つかったら対戦を挑まれるかもしれない。
だから他のプレイヤーから逃げ隠れしつつ、デジタル世界を走り回って観察し続けた。
でも、自分から戦うことができなくても、僕はこの世界が好きだ。
「つまらない現実を愉快な世界が飲み込んでくれるから」
現在
僕はアバターで自室の窓から飛び出た後、派手で見応えのある戦闘を求めて街をさまよっていた。
「何かおもしろいことはないかなー」
周りには少なからずプレイヤーの姿があった。もちろん、プレイヤーの誰もが好戦的というわけではない。僕のように観戦を楽しむ者や、他のプレイヤー(アバターではなく現実に街にいる人)と他愛ない交流を楽しむ者、ショップでアイテムを買っている者、売っている者……実に様々な人がいる。
そんな雑踏に紛れて街を歩いていく。
歩き続けて人気が少なくなったころ、路上の一角に貼り紙があることに気付いた。
「なんだこれ……デジタル世界の紙?」
それは現実の物体ではなく、デジタル世界にのみ存在しているものだった。
(なんて書いてあるんだろ?)
その貼り紙には━━、
「完全歩合制、メッセンジャー募集中! 逃げ足の速い人歓迎!」
どうやらバイト募集の告知のようだ。
「どうみても怪しい…」
怪しくないわけがなかった。現実世界ではなくデジタル世界で、しかもメールや掲示板ではなく路上で貼り紙の告知…。現実世界で貼り紙を貼ればデジタル世界でも表示されるにも関わらず、敢えてデジタル世界だけに貼る。しかも最後の一言が謎だ。
(でも、最近時間を持て余しているし、興味あるな)
おもしろそうなことを探していたこともあって「金が稼げるなら…」と、僕は求人主に連絡することにした。
この求人が、僕の人生の大きな転機になろうとは、このときはまだ知る由もなかった。
僕が見つけた貼り紙の隅にはこんなことが書かれていた。
「応募するならこの貼り紙を剥がして捨てておいてください」
奇妙だ。この求人主は、自分で告知しておきながら人が集まることを避けているらしい。
謎は増えるばかりだ。
指示通りに、とりあえず貼り紙は剥がしてから、覚悟を決めて記載されている連絡先にメールを送ってみる。文面は迷ったが、個人情報をできるだけ伏せて書いてみた。
「件名:バイトに応募します
メッセンジャー募集の貼り紙を見ました。
失礼ですが、念のため個人情報は伏せさせていただきます。
僕を採用する気があるなら返信よろしくお願いいたします。」
我ながら失礼な文章だと思う。でもしかたない。こんな怪しい求人主に自分のメールアドレスを教えるのも十分危険なんだから……。
「今日はこの辺にしとこう」
メールの返信がすぐに来るとは思えない。僕はオーグからログアウトした。
翌日
昨日と同じようにオーグにログインした僕は驚いた。
「あ……本当に返信がきてる」
急いで内容を確認した。
「件名:Re:バイトに応募します
応募ありがとうございます。
個人情報を伏せたのは良い判断ですね。その慎重さと度胸はこの仕事に向いていると思います。
詳細はアバターで会って話したいので希望の場所と日時を教えてください。」
(意外にも人間味のある内容だな……)
もっと素っ気ない文章が返ってくるもんだと思っていた僕は驚いた。しかも、個人情報を伏せたのに相手は気にしていないどころか、肯定的なようだ。
とりあえず希望場所と日時を送ってみたところ……返信はすぐに来た。
その後、何度か予定を調整するやり取りをして後日会うことになった。
待ち合わせ当日
僕は待ち合わせ場所に家から少し離れた公園を選んだ。
自宅でオーグを起動してアバターを走らせること数分、目的の公園にやってきた。アバターの身体能力は現実の肉体より優れている。僕のアバターは逃げ隠れのために移動能力を強化しているからあっという間だった。
この公園は何の変哲もないただの公園だけど、周りに木が植えられているから周囲の住宅街から狙撃するのは難しい。
(もうすぐ約束の時刻だ……)
すぐに待ち人は見つかった。メールで確認した外見通りのアバターが大きな木の下に佇んでいる。周りに他のアバターは見当たらない。
(もし待ち合わせが罠で、この求人が新手のポイント稼ぎだったとしたら……僕は瞬殺される)
念には念を入れて周囲の安全を確認していく。
どうやら近くに攻撃してきそうなプレイヤーはいないようだ。
僕は求人主と思われるアバターに近寄り、声をかけた。
「あなたがメッセンジャーのバイトを募集した方ですか?」
求人主は若い女性の姿をしていた。
「ええ、そうです…あなたが応募してくれた人ですか」
声も若い女性のそれだった。オーグで会話する際、音声はARグラスに内蔵されたマイクに拾われてアバターから発信される。つまり、変声器でも使っていない限り、性別は現実と同じようだ。
少し苦笑交じりに彼女は言った。
「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ……それとも警戒しているんですか?」
どうやら心を読まれたらしい。
「あんな怪しい求人を出すのは一体どんな人なんだろうと思っただけです…」
僕は「しまった」と思った。これではあまりに失礼だ。人と話すことが苦手とはいえ、もう少し考えて物を言わないと。
しかし、時間は巻き戻らない。緊張して相手の返事を待つ。
「すみません。大っぴらに求人できない理由が有りまして……。でも怪しいものではありませんよ」
良かった。彼女は特に不愉快には思っていないらしい。というか「怪しくない」って怪しいやつがいう台詞だと思う。
それに、求人主は平静を装っているけれど、縋るような目を僕に向けてきている。
(とりあえず話しを聞いてみるくらいは良いかもしれない……バイトもやってみたいし)
「わかりました。面接は…どこか落ち着いて話せるところでしますか?」
「それなら私の事務所にしませんか。ここからそれほど遠くありませんし」
もしこれが現実世界ならついて行かないだろう。しかし、今はアバターだ。危険を感じればログアウトすれば良い。
(不意打ちさえ気を付ければ問題はないかな)
そう判断した僕は彼女について行くことにした。
それから求人主に連れられて歩くこと数分。僕たちは路地裏にある、一つの扉の前に到着した。
「この扉……現実には存在しないものですか?」
デジタル世界では通常、現実が薄く表示されていて、アバターでは現実の物体は基本的に動かせないようになっている。しかし、目の前の扉は現実の投影には存在しないし、どうやらアバターでも動かせるようだ。
「ええ、そうですよ。ショップで1000ポイントする「ベースルームドア」というアイテムなんです」
(ベースルームドア……確かにそんなものがショップにあった気がする)
1000ポイントなんてそう簡単に獲得できるものではない。彼女は戦闘に物凄く強いのか、もしくはリアルマネーをつぎ込んだのだろうか。
彼女が説明を続ける。
「このアイテムは一定の大きさの平たい壁に設置して使うんです。で、設置するとそのドアから「ベースルーム」という空間に入れるようになります。ベースルームは現実の空間から独立しているので、実際にはこの建物には存在しない場所なんですよ。まぁ、一度ドアを設置すると再設置できなくなるんですけどね…」
「へぇ……そんなアイテムがあったんですか」
どこか誇らしげに説明する彼女を見て、僕は少し警戒を緩めた。
(この人…案外普通の人かも……)
「ようこそ。私の事務所へ」
彼女がドアを開けて中に入っていく。
「お……お邪魔します」
部屋の中はそこそこ広い。真ん中に来客用のソファと机があり、その右側には執務机がある。一方、入って左側手前には工房だろうか…。アイテム作成に必要なものが揃えられていた。さらに左奥にはいくつも棚が並んでいて、まるで倉庫のようになっている。
「あれ……窓がある? ベースルームは現実とは独立した空間なんじゃ?」
「ふふ。すごいでしょう。ベースルームは色々カスタマイズできるのよ」
「じゃあこれは窓を再現した作りものってことなんですか…」
「ええ、そうよ。だから、その窓から外にでることはできないわ。ここを出入りするにはあのドアを使うしかないの」
(へぇ……オーグにこんな空間があったなんて。僕もポイントを稼げていればなぁ……)
戦いに勝てないからポイントを稼げていない。必然的にショップで見るものは安物の装備くらいだった。
ゲーム内通貨の「ゴールド(G)」は1000ゴールドで1ポイントと交換できる。ポイントはアバターのステータスを強化できるもので、モンスターを一定数倒した報酬としても獲得できる。リアルマネー1円で1ゴールドだから、1000ゴールドは1000円。1000ポイントは100万ゴールド。つまり、100万円課金すれば、一回も戦闘を行わずにベースルームドアが買える計算だ。
「課金でも無理かぁ……。モンスターをコツコツ倒せばいつか買えるかな……」
弱いモンスターは一匹倒して10ゴールド。時々アイテムも戦利品として獲得できる。
「ベースルームドアが欲しいの?あなたも物好きな人ね。これ持ってる私が言うのもアレだけど、普通のプレイヤーなら自分の家で事足りるでしょう?」
そのとおりだ。オーグでは基本的に個人の建物には入れない。例外なのは公共エリアと、自宅の中でオーグを起動した場合だ。
建物内でオーグを起動した場合、内側から窓やドアを開けることはできても外からは開かない。プライバシーの問題があるからだ。そのため、自宅を倉庫代わりに使っているプレイヤーは少なくない。
「そうなんですけど……面白いじゃないですか。空間が拡張されてるみたいで」
「まぁ、分からなくもないかな。私は仕事の為に買ったんだけどね」
彼女は何か思い出したようにこちらを見た。
「そんなことより、私の事務所の来たのは面接の為なんでしょう?とりあえず、そこに座りましょうか」
そう言って彼女は部屋の真ん中にあるソファに座る。僕も机を挟んで反対側にあるソファに座った。
デジタル世界で椅子に座る場合、歩行装置に付属しているワイヤーによって腰のあたりから上に吊り上げられる状態になる。
この仕組みのおかげで空中に浮いているような状況などもリアルに再現されるため、かなり自由に体を動かすことができる。
「まずは自己紹介ね……。私は「ミドリ」よ。好きに呼んでくれて構わないわ」
「僕は「ダートム」です」
「ダートム?変わった名前ね」
「ドイツ語で「日付」って意味です」
僕は名前に「月」や「紀」など暦に関する漢字が使われているから、自分のアバターには暦から連想して日付という意味の名前を付けた。音の響きが気に入っている
「ふーん……。名前はわかったわ。じゃあ次、このバイトに応募した理由は?」
「何か面白いことはないかと街を散歩してたところに求人の貼り紙を見つけたんです。それで、好奇心を抑えきれず思わず連絡しました。…金が稼げるなら何でもよかったんですけどね」
またしても正直に言ってしまった。これでは本格的に相手の気分を害しかねない。
自分の会話能力の低さにうんざりしながら彼女、ミドリさんの反応を待っていると。
「まぁ、そうよね。あんな怪しい貼り紙に連絡する理由なんて……。でも、正直な回答は嫌いじゃないわ」
と、苦笑いで僕のことを見てきた。どうやら怪しさ満点の自覚はあったらしい。
(公園で、大っぴらにできない理由があるとか言ってたっけ。どんな事情なんだろう)
「ところで……、もし答えたくないなら無理に言わなくてもいいんだけど、あなた、普段の職業は?」
彼女は話題を少しでも早く変えたいらしく、僕のことについて質問してきた。
「仕事はしてません。大学生です」
「あら、そうなの。私と同じね。教えてくれてありがとう」
(大学生だったのか……。僕と年も近いのかも……)
「あの、仕事の内容は具体的にどんなことをするんですか?」
「アイテム取引の為に荷物を届けて欲しいの。簡単に言えば自転車便のようなものね。私は「メッセンジャー」と呼んでいるわ。依頼された荷物を、指定された時間、指定された場所に届けるの」
「まさか、違法薬物とかじゃないですよね……?」
「いいえ、大丈夫よ。実際に活動するのはこのデジタル世界なんだから。荷物は武器とかのアイテムが大半よ」
(なんだ…普通に安全みたいだな)
僕は安堵した。
「あれ? でも変だな。アイテムの取引ならゲーム内のアイテム転送機能を使えばすぐに運べるんじゃ?」
オーグにはアイテム転送機能がある。街の数か所に転送端末が設置されていて、端末間でアイテムを転送できるものだ。送信者が、受け取るプレイヤーを指定して送りたいアイテムを端末に備え付けられたボックスに入れる。受け取るプレイヤーが転送先の端末に行くと転送されたアイテムが出てくる仕組みになっている。
彼女はなにか呟いている。
「それは……。そうよね。説明しなきゃいけないわよね……」
彼女は神妙な顔で僕を見た。
「最近オーグで、転送されたアイテムを受け取った直後に誰かに攻撃されたっていう噂…聞いたことない?」
「あ……聞いたことあります。相手の顔を見る前に瞬殺されるって話。マナー違反もいいところですよね」
「ええ。でも、マナー違反どころの話ではないの」
「マナー違反どころじゃない?どういうことですか?」
「多分、転送端末を使った記録を誰かが不正に利用しているんだと思う。」
「それってまさか、つまりオーグのシステムがハッキングされてるとか……?」
「うん。だから私はメッセンジャーを広めたいの。直接プレイヤーが移動してアイテムを届ければ端末で奇襲されることもないし、メッセンジャー本人は手数料を依頼人から貰えるから多少稼げるしね」
「ちょっ、ちょっと待ってください……。システムがハッキングされてるならそのうち運営が解決するんじゃ?」
オーグは現実をほぼリアルタイムで3Dモデル化している。そのため、プライバシー保護の観点からセキュリティ管理を厳重にしていると聞いたことがある。もしそんなところにハッキングできるのだとしたら世界中で批判の声が挙がることは間違いない。
「えっと、それは。ごめんなさい。今は「運営は問題を解決しない」としか言えないわ」
(!……なぜそんなことが分かるんだろう?)
そもそもなぜ現実の3Dモデル化が可能なのか。その技術は一切公開されていない。オーグの開発・運営を行っている「トランスオービット社」が技術を秘匿しているからだ。
そんな企業の内部情報を知っているミドリさんは何者だろうか。
「まぁ、とりあえず。メッセンジャーが必要な理由はわかりました」
いろいろと分からないことだらけだった。でも彼女は事実を隠しこそすれ、嘘をついている気配はない。
それに、今は受け入れて話を聞くしか選択肢がなかった。
そんな僕に追い打ちをかけるように目の前の求人主は言葉を続ける。
「でも……」
彼女が口ごもった。嫌な予感がした。
「荷物を運ぶときなんだけど……。襲撃から守りながら逃げてほしいの」
「え!?」
(やっぱりこのバイト危ないやつだ!)
「実は、前にもメッセンジャーに応募してくれた人がいたんだけどね。運んでる最中に、まるで狙ったように襲撃されて……。そんなことが何回もあって、前の人はすぐにやめちゃったのよ」
「それって、メッセンジャーに依頼したことが襲撃した人にバレてたってことですか?」
「たぶん。そういうことになるかな……」
ミドリさんは悔しそうに顔をしかめた。
(そうか……システムにハッキングした人は転送端末の記録以外の情報も見れるのかも……)
ますますオーグのセキュリティが心配になってきた。
「なるほど。それで貼り紙に「逃げ足の速い人歓迎!」って書いたんですね」
「そのとおりよ。……どうする?あなたがバイトはやっぱりやめたいって言うなら……止めはしないわ」
ありがたいことにミドリさんは僕に仕事を引き受けるか確認の機会をくれた。
(どうしよう……。でも逃げ足なら自信ある。それに、もし襲撃されて倒されても失うアイテム全然もってないし、彼女が隠していることも気になる)
ここまで、散々『怪しい』『危ない』と思ってきたけれど、結局は応募のメールを送った時点で決まっていたのかもしれない。
「僕、このバイトやりたいです」
今僕はどんな顔をしているのだろう。自分でもよくわからない。きっと暗く歪んでいる。
━━本当は仕事内容なんてどうでも良かったのかもしれない。
現実で居場所がないから、せめて自分が好きな世界の中でくらい、特別な居場所が欲しかった。そんな邪な気持ちだった。
「!……ありがとう」
そういう彼女の笑顔は、僕の考えとは反対に、とても輝いて見えた。
僕の悪い癖だ。すぐに自己嫌悪に陥ってしまう。頭を振って思考を目の前の会話に集中させる。
「でも、荷物運びをメッセンジャーに依頼する人なんていますかね?自分が直接狙われないとしても、依頼したメッセンジャーが襲撃されたんじゃ結局取られちゃうかもしれないし……」
「その心配はないわ。ストレージのアイテム保護枠に入れておけばいいの」
オーグにはストレージ(貯蔵庫)に保護枠が2つある。保護枠とは、アバターが倒されても自分のアイテムを戦利品として奪われないように設定できる機能だ。普通のプレイヤーはこの枠に自分が最も使うであろう武器や防具を設定しておく。
「確かに、保護枠に入れれば荷物は守れますね…。でもそれじゃあ自分のアイテムは一つしか守れないじゃないですか」
「それは仕方ないの。メッセンジャーは大事な武器を奪われるかもしれないけど、そのリスクと保証があるから依頼主に手数料を多少高くしても払ってもらえるし」
「なるほど」
それなら依頼は来るかもしれない。僕は深く頷いた。
オーグをプレイしていても僕のように対人戦を避けている人は少なくない。そんな人達には確かに需要はありそうだ。
ミドリさんは僕が納得したことを確認すると、話を切り替えた。
「でも、本格的に採用するかはあなたの実力によるわね。ステータスを教えてくれる?」
「わかりました」
僕はオーグのメニューを開いて、ミドリさんにステータスを見せた。
<名前>「ダートム」
<レベル> :10
<EXP>:12/100
<HP> :100/100
<ステータス>
STR:1
VIT:1
DEX:2
AGI:4
CR:2
<装備>
武器
右手:ノーマルナイフ
左手:ノーマルハンドガン
防具
頭:なし
胴体:ノーマルコート(灰色)
手:ノーマルグローブ(灰色)
足:ノーマルスラックス(濃紺色)
装飾品:
1:重量軽減ベルト
2:静寂の指輪
保護枠
1:重量軽減ベルト
2:静寂の指輪
レベルは初期値が5だ。5種類のステータスそれぞれに1が割り当てられた状態で始まる。ステータスに1ポイント振り分けるたびにレベルが1上がる。
EXPは経験値だ。倒した敵 (モンスターもしくはプレイヤー)のレベルが自分より下ならカウントが1増える。レベルが自分より上ならカウントが2増える。カウントが100に到達すると1ポイント獲得できる。
HPは体力(ヒットポイント)、STRは筋力(ストレングス)、VITは生命力(バイタリティ)、DEXは器用さ(デクステリティ)、AGIは敏捷性(アジリティ)、CRはアイテム製作(クラフト)のことを表している。
「ん?レベルは低いのね。オーグは初めたばかり?」
「いえ、リリース直後からやってます……。でも戦いに勝てなくて、ずっと観戦ばかりしてました」
「なるほど……」
ミドリさんは暗い顔をした。
(やっぱり戦闘で勝てないとダメなのかな……)
僕はオーグがリリースされてからの一年間、レベルをたった5上げるのがやっとだった。武器、装備は店売りの安いものを買って色を変えただけ。お世辞にも強いとは言えない。
「ふむふむ。武器と防具は店売りのものか……。でも装飾品は、なかなか面白いものを付けてるね」
そう、装飾品だけは良いものを付けている。重量軽減ベルトはその名の通り、アバターが軽くなるベルトだ。これを付けておくと通常より高くジャンプできるし動きも軽やかになる。ただでさえ装備している防具が布の服ばかりなので、アバターはとても軽い。もう一つは静寂の指輪だ。この指輪は自分から発生する足音、物音の音量を小さくしてくれる。この二つの装飾品はどちらもモンスターからの戦利品で、少しレアなものだ。
その効果を確認した彼女は、さっきと打って変わって明るい顔をした。
「へぇ……!さっき観戦ばかりしてたって言ってたけど、この装飾品は役に立ったでしょ!襲撃者から逃げ隠れしながら走るのにぴったりね。この二つはメッセンジャーでもきっと役に立つと思う!」
彼女は興奮気味にそうまくし立てた。よほどこの装飾品が気に入ったらしい。
「じゃあ採用ですか……?」
「うん!これからよろしく!」
「こ…こちらこそよろしくお願いします」
これから面白くなりそうだ。それに、ミドリさんはなぜか放っておけない気がした。
第2話 戦えない理由
無事にメッセンジャーに採用された僕だったが、待っていたのは荷運びの仕事ではなく作戦会議だった。
「あなた、初仕事の前にもっと強くならないとダメね」
「うぅ! …でも襲撃者から隠れる自信ならありますよ」
「隠れるといっても簡単にはいかないと思うわ。前のメッセンジャーが繰り返し襲われたと言ったでしょう?奴らはプレイヤー狩りのプロみたいなものよ」
「そんなに強いんですか…」
「うん。それに、複数人で攻撃してくるはず。だから、まずはあなたの実力を見せてほしいの」
そしてミドリは少し俯いてから呟いた。
「それに…もしあなたがやめてしまったら…次は応募が来ないかもしれないし」
「今は、やめる気はありません。 とりあえずモンスターでも探してみますか」
(ミドリさんはやはり何か隠している。オーグの運営のハッキング問題も知っていたし、一体どんな事情があるのだろうか?)
僕らは腕試しの為にモンスターを狩りにいくことにした。
オーグのモンスターは街の至る所に出現する。しかし、プレイヤーが多いので出現した片っ端から倒されてしまうためあまり姿を見ることはない。
また、一口にモンスターといっても様々な種類がいる。ファンタジーに出てくるゴブリンやオークがいる一方で、ロボットのようなものもいる。上空には鳥型モンスターやドローンなども出現して、ジャンルは様々だ。
事務所を出て人が少なそうな道を選びながら歩くこと数分、閑静な住宅地でやっとモンスターを発見した。
「あれは…ロボですね」
無機質な白い装甲を付けた人型ロボットがこちらに背を向けて歩いている。
オーグでは、敵を攻撃するか攻撃されるまでHPと名前を見ることはできない。
「名前は確か… 【Wandering Android】だったかしら」
「ワンダリングアンドロイド…意味は「徘徊するアンドロイド」。そのまんまの名前ですね」
話している間にもその名前通り、アンドロイドはトボトボ歩いて遠ざかっていく。
「そんなに強くない相手だと思うから、ちょっと戦ってみてくれる?」
「…わかりました」
(どうしよう…。ロボットは装甲が固いから安物のナイフよりハンドガンを使うか…。でも、銃弾はそんなに買っていないから無駄使いできないし…)
そう、僕(ダートム)は筋力をほとんど上げていない。接近戦は特に苦手なのでいつもハンドガンを数発撃てば勝てるような、レベルの低いモンスターとばかり戦ってきた。
(というか…戦闘は全力で避けてきたんだよな。 でもこれは腕試し。しっかり全力をだして実力を把握してもらわないと)
意を決して深呼吸する。
(気付かれる前に倒す!)
その瞬間、僕は現実の自分を忘れてアバターと一つになっていた。
近くにあった3階建ての住宅に向かって、足に力を込めて思い切りジャンプする。
(今の僕は自由だ)
現実のしがらみや圧し掛かる重力、その全てから解き放たれてどこまでも行ける。そう思った。
一瞬の浮遊感の後、屋上に音もなく着地した。
ダートムにとって重量軽減ベルトの効果はキャラクターのアイデンティティそのものと言っても過言ではない。
建物の屋上伝いに、走って跳んで繰り返すこと三回。アンドロイドに一番近い建物の屋上に到達した。
(敵にはまだ気づかれていない)
ナイフを持った右手に力がこもる。現実では触覚再現グローブ越しに硬質な感覚が伝わってくる。
自分と敵の距離を確認し、ナイフを逆手で構えた。
(ここから敵に向かって跳んで、落下の勢いのままナイフを突き刺させば…装甲を貫通できるはず!)
ロボは大抵、装甲が固いだけで、その下の金属フレームに攻撃すれば簡単に倒せる。
僕は敵の真上に向かって大きくジャンプした。
アンドロイドは地面に移った僕の影に気付いて振り仰ぐが、もう遅い。
一瞬で距離を詰めた僕は、落下の衝撃を全てアンドロイドに叩きこむ勢いでナイフを突きたてた。
アンドロイドの左肩にダメージエフェクトが散り、ナイフが金属フレームを叩き割った感触がグローブ越しに伝わってくる。
攻撃認定されて僕の視界に敵のHPと名前が表示される。
急激に減っていく敵の体力を見つめた。
僕は勝利を確信した。が、詰めが甘かった。
そして、気づいた時には吹き飛ばされていた。
HPが僅かに残ったアンドロイドが右ストレートを放ったのだ。
「くっ!」
体が軽いとノックバックが大きくなる。
一発殴られただけで10メートル飛ばされた。
もし重量軽減ベルトが無ければ、落下エネルギーはもっと強くなっていたはずだ。そうすれば敵を一撃で仕留められたに違いない。このベルトはメリットばかりではない。
「まずい!」
起き上がったアンドロイドの右手が黄色く発光している。腕に内蔵されたレーザーキャノンを撃つ気らしい。
動かなければ、やられる。レーザーが直撃すれば僕の低いHPは簡単に消し飛ぶだろう。
頭では理解している。だけど、動けなかった。
「いつもこうだ…。肝心なときに、動けない」
弱々しくそう吐き捨てた。
目をつぶって死を待つ。
爆発音が聞こえた。
「あれ…? 死んでない…?」
僕はまだ生きていた。HPはさっき殴られたっきり減っていない。
目を開けて辺りを見ると、爆発したアンドロイドの残骸が破砕エフェクトを振りまいて消滅するところだった。
「大丈夫? 戦闘で勝てないとは聞いてたけど…これはキビシイわね…」
ミドリさんがアサルトライフルを構えていた。どうやらアンドロイドを撃ってくれたらしい。
「す、すみません」
「惜しかったわね。奇襲するところまでは上手くいってたのに…」
僕は俯いた。
「いつもこうなんです。肝心なときに動けなくなって…。 頭では理解しているんですけど、体がゆうことを聞かなくて」
「なるほど…。 だいたい実力はわかったわ。 とりあえず事務所に戻りましょう」
「はい」
事務所に戻ってきた僕たちは、先ほどの腕試しを振り返っていた。
「最初の立ち回りは良かったわよ。筋力が足りないから落下エネルギーを使ってナイフで装甲を貫通させたんでしょ?」
「はい。その通りです」
「たしか、ハンドガンを持ってたわよね?それを使わなかったのは?」
「今、金欠なんです。ゴールドもリアルマネーもなくて。だから弾も買えないので使いませんでした」
「なるほど。ふむ…。 状況判断はできているし、運動神経もそれほど悪くない…。 やっぱり問題なのは緊張で動けなくなることね」
「はい…」
「大丈夫よ。そんなに落ち込まないで! この手の実際に体を動かすゲームだとよくあることだから」
「そうですよね…ありがとうございます」
「それに。オーグはアバターのレベルが低くても装備アイテムによって強くできるから、まだまだ強くなれるわ」
彼女が僕を励ましてくれている。素直にうれしかった。
(…やっぱり雇うのやめるとか言わないのか…良かったぁ)
なぜかこのバイトに執着している自分がいることに気付いた。いつの間にか、すっかり彼女への警戒心は無くなっていた。
「なにか策を考えておくから、後日改めて作戦を練りましょう。 それと、ログインマーカーをこのベースルームに設定しておいてね」
「あぁ…はい。わかりました。次回はここにアバターを出現させますね」
ログインマーカーとは、オーグにログインした時にアバターが出現する位置を固定できる仕組みのことだ。通常、オーグにログイン(起動)するとARグラスの目の前にアバターが出現するが、ログインマーカーを設置していると、目の前とマーカーのどちらにアバターを出現させるか選べるようになる。ただし、マーカーは一箇所しか設置できない上に、あらかじめアバターが直接現地に行って設置しておく必要がある。
「次回はいつにしますか?」
「できるだけ早いほうがいいわね…。今日は木曜だから…。明後日は?」
(土曜日に大学の講義はない…)
「大丈夫ですよ」
「じゃあ土曜日に決まりね。集合時間は後でメールするわね。っと。そうだった。今後はオーグのゲーム内メールは使わずにARグラスのアプリの方で連絡しましょう」
「?…なぜですか?」
「ほら…。オーグのシステムがハッキングされているなら、どこから情報が漏れるか分からないし…」
「あぁなるほど。 分かりました」
僕たちは連絡先を交換した。
「それじゃあ、また土曜日に」
「ええ。今日はお疲れ様」
「はい。お疲れ様です」
僕はオーグからログアウトした。
第3話 友人のすすめ
アンドロイドとの腕試しをした翌日。
僕は大学で講義を受けていた。
窓から春の陽気が差し込み、涼やかな風が構内を通り過ぎていく。
「ふぁ~……。 眠い……」
オーグを使えば実際に大学に通わずともアバターで行けるのだが、最新技術を使っているオーグとはいえゲームなことに変わりはない。そのゲームを大学は受け入れてくれなかった。だからアバターで授業を受けても出席扱いにはならない。
(でも、もしアバターで授業を受けられてもプレイヤーが集まれば戦闘が起きるだろうな)
そんなくだらないことを考えているうちに時間は過ぎ、昼休憩の時間になってしまった。
ちなみに今はARグラスは付けていないしオーグも起動していない。ARグラスは単体ではCPUの処理性能はさほど高くないため、オーグなどの処理が大きいソフトウェアはスマホとワイヤレス接続して使う。
まだまだARグラスは発展途上の技術なのだ。
学食の隅で一人昼食を食べていると、不意に女性に声をかけられた。
「お! 直紀じゃん!」
「! なんだ……黒江か」
声をかけてきたのは「黒江南(くろえみなみ)」だ。
それほど親しいわけでもないが、同じ高校出身ということもあり、最近よく話すようになった。快活な性格をしているので、接してて気が楽だ。
彼女は無造作に向かいの席に座ると、手にもっていたビニール袋からサンドイッチを取り出した。包装を開けて大口でかぶりつき美味そうに食べ始める。
「……なにかいいことでもあったの?」
「わかる? いやー今日は午後の講義なくってさー! 直紀は?」
「僕もないよ」
「そっか! ちょうどいいや。 良さそうなサークル見つけたんだけど直紀も入らない?」
この4月、僕は大学生になった。入学してからというもの、サークルには入らずにひたすらオーグで遊んでいる。
「サークルかぁ……。楽なやつなら入ってもいいかもな。 どんなサークルなの?」
「パソコン部」
「パソコン? 黒江ってパソコンに興味あったの?」
「パソコン自体にはあまり興味ないんだけど……」
そこで声を潜めて。
「ここの副部長、オーグで素材を買い取ってくれるんだよ……。直紀もオーグやってるんでしょ?」
黒江は以前、自分はオーグで雑貨屋をしていると言っていた。露天商をしていて金払いの良い客と仲良くなったとかなんとか言っていた記憶がある。
(今まで黒江とはあまりオーグについて話したことが無かったな……)
「まぁ、やってるけど。……ほんとに?」
「ほんとほんと。 実は副部長とオーグ内で知り合ってさー。私の客なんだよ」
「客? あ……前に話してた露天商の客か」
「直紀もオーグプレイヤーなら気になるでしょ?」
「うん……そうだね。気になる。僕も入ってみようかな」
「そう来なくっちゃ! 講義ないなら食べ終わったら部室行ってみよ!」
「ああ。そうだね」
(黒江はテンション高いなぁ……。 っていうかひょっとしてヘビーゲーマー……?)
第4話 雑貨屋の人脈
昼食を食べ終わった僕と黒江はARグラスを使ってネットで調べものをしていた。
大学のホームページからサークル紹介を見る。
「えーと……。パソコン部の部室はどこだ……?」
「あ! あったよ直紀!」
「ん? どこって書いてある?」
「部室棟の102号室だってさ」
「じゃあ早速いってみよう。黒江の客っていう副部長さんがいればいいけど……」
部室棟はキャンパスのある敷地から出て道路を挟んだ先にある。
「ここが部室棟……?」
隣に立っている黒江がしかめっ面で呟いた。それもそのはず、ものすごく古そうな二階建てアパートのような建物なのだ。一階と二階にそれぞれ4部屋で計8部屋ある。
「と、とりあえず102号室に行ってみよう」
「そ、そうね……」
102号室はすぐに見つかった。ドアについたプレートには「102 パソコン部」と黒インクで書いてある。
黒江が恐る恐るドアをノックした。
コンコンッ
「はーい。カギは開いてるのでどうぞー」
返事はすぐに来た。
黒江を先頭に部室に入る。
「あれ……。意外と綺麗」
驚いた。
部屋の中は外見からは考えられないほどきれいになっていた。リフォームでもしたのだろうか。
ドアから入って左側には棚がある。その棚には紙袋や段ボールなどが敷き詰められてあるが、隙間から棚の奥が見えた。どうやら机にパソコンとモニターが載っているようだ。作業空間を棚で仕切っているのだろう。
左奥には壁に沿ってソファが二つ、L字型になるように置かれている。その前に背の低いテーブルがある。
入って右はすぐに壁になっているが、壁に沿って小さな冷蔵庫がある。そのとなりには机に載ったテレビモニターがあった。ちょうど左奥のソファから見える位置だ。右奥には机と椅子。これも作業用だろう。
ソファに座っていた男と目が合った。細身で肌が青白く、顔は比較的イケメンな感じだ。
部室内に他の人はいなかった。
「パソコン部になにか用?……ひょっとして入部希望かい?」
黒江が応じた。
「あ、はい。私たちパソコン部に入部希望です」
「へぇ……入部希望者なんて久しぶりだな。しかも二人も」
なにか信じられないようなものを見る目で僕たちを見ている。
「あの……。何か?」
「いや、ごめん。あまりに珍しかったもんでつい。……俺は3年の清水蒼矢(しみず そうや)だ」
「私は1年の黒江南です。こっちは……」
「同じく1年の月村直紀です」
「黒江さんと月村さんね。二人ともよろしく」
僕たちは清水先輩に促されるままL字型ソファに座ることにした。
黒江が部屋を見渡しながら聞く。
「あの……。3年の高木先輩って知ってますか?」
「!……君たちは高木の知り合い?彼女はこの部の副部長だよ」
「あ、まぁ、現実では会ったことはないんですけど、オーグの中で知り合って、そしたら偶然同じ大学だとわかって仲良くなったんです。この部にいると聞いたので」
清水は得心したようで頷いた。
「ということは、黒江さんはあの雑貨屋の人か!」
「私を知ってるんですか!?」
「ああ、実は俺もオーグをプレイしていてね。高木が集めた素材でアイテムを作っているんだよ。同じ大学に雑貨屋をしてる人がいたとか、彼女が珍しくはしゃいでたから覚えている」
「そうだったんですね」
「そうだ! 豊富な品揃えがあると聞いてるよ。あとで是非見せてくれ」
そこで僕の存在を思い出したのか、咳払いをするとこちらに向き直った。
「そっちの……えーと月村君も高木の知り合い?」
「あ、いえ。僕はただ黒江に誘われただけです」
「なんだ、そうなのか」
実際、僕は二人の会話についていくのがやっとだった。
「とりあえず、パソコン部の説明でもしようか。といっても、今部員は俺と高木の二人しかいないからなぁ……」
「?……活動してないんですか?」
「前は部員がもっと沢山いて、パソコンを自作したりプログラムを組んだりしてたんだが、みんなやる気が無くてね……。最近は俺の作業部屋兼、高木の休憩スペースって感じかな」
「へぇ…そうだったんですか」
「まぁ、部室を持て余してるのは事実だし、歓迎するよ。」
僕らは部員名簿に名前と学籍番号を記入した。これで正式にパソコン部の一員である。
「平日は基本的に開けてあるから、この部室は好きに使ってくれて構わない。二人はパソコンの自作とかプログラミングとかしたい?」
(実はあまり興味ないんだよな……。誘われただけだし)
二人そろって首を左右に振った。
「いえ……」
「私は高木先輩に会いたかっただけですし……」
すると、清水は少し安心したように言った。
「そうか。教えるのは大変だから、むしろ良かったよ。……もちろん、やりたかったらいつでも言ってくれ。俺にできる範囲で教えるからな」
「はい。ありがとうございます」
(清水先輩が良い人で良かった。ていうかこの部活よく廃部にならないなよなぁ……)
部の紹介が終わったところで、清水が思い出したように言った。
「ということは、黒江さんはオーグの為に来たんだよな? アバターの紹介もしとくか」
「あ、はい。そうですね」
三人そろってオーグを起動する。現実世界にデジタル世界が重なって表示される。
それぞれの前にアバターが出現していく中、僕は驚いて声を上げた。
「えっ! なんで!?」
新しく出現した3人のアバターとは別に、もう一人アバターがいたからだ。
そのアバターとは、僕の雇い主「ミドリ」だった。
第5話 アバター紹介
アバターの自己紹介のためにオーグを起動した僕たちは、デジタル世界の部室にいる4人目に気付いた。
「えっ! なんで!?」
それは僕のバイトの雇い主である「ミドリ」だった。
デジタル世界が現実と重なっている以上、オーグを起動したときに他のプレイヤーやモンスターが目の前にいるということは稀に起こることではある。しかし、故意にデジタル世界から現実世界のストーキングを行うことはプレイヤーの誰もが理解している重大なマナー違反だ。最悪、警察沙汰だってあり得る。
だから僕はまず、ストーキングされたものと思った。
が、黒江と清水先輩からは、意味合いの違う驚き声が上がった。
「あ!先輩いたんですか!」と黒江。
「そうだ!すっかり連絡を忘れてた!」と清水先輩。
それから三人合わせて。
「「「……えぇ……!」」」
何が何だかわからない。
当人のミドリは沈黙したまま動いていない。
黒江と清水先輩がそろって僕を見る。
「直紀も先輩と知り合いだったの!?」
「え……? ミドリさんは僕のバイトの雇い主だけど……?」
「!……ということは月村さんが最近メッセンジャーに応募してくれた人なのか!?」
「そっか……。直紀はミドリさんのリアルを知らなかったんだね。彼女が副部長で私のお客さんの高木緑先輩だよ」
どうやらストーキングされたわけではないらしい。
三人は別々に高木緑と知り合っていたということだろう。
「そういえば、清水先輩。さっき何か忘れてるとか言ってませんでした?」
「あ……。そうそう、高木から頼まれてたんだよ。『もし入部希望者が来たらメールで教えって』てさ。昼前に部室にアバターだけ置いていったんだよ。誰も来ないと思ってたからすっかり忘れてた」
そこで先輩は言葉を切ってミドリを見た。僕らもつられて見てしまう。
「だから無反応で立ってるんですね」
おそらく今はアバターの操作をしないでオーグを起動したまま放置して、講義でも受けているのだろう。清水先輩がメールで入部希望者がいると連絡すれば、ARグラスのホロウィンドウやVRモードを使ってアバターの視界を見つつ、ゲームパッドで操作する予定だったのだろうか。
清水先輩が僕らに向き直って言った。
「高木に連絡しても良いけど、講義の邪魔をするのは良くないな。 俺たちで先に自己紹介しようか」
「そうですね。高木先輩はそれぞれ知っているみたいだし、直紀と清水先輩のアバター気になるなぁ!」
「確かに気になるね」
「じゃあ、俺からだ」
そういって清水先輩はソファから立ち上がってアバターの隣に立った。
「アバターネームは『デル』だ。戦闘はほとんどしないが、クラフターをしている。ステータスはCR(クラフト)」に極振りだな」
清水先輩とアバターの顔はほとんど同じだ。オーグのアバターはスマホで撮った写真からモデルを生成できる。ほとんどの人はアバターの顔を、自分の顔より少しイケメンにしたり可愛くしたりカスタマイズして使っている。
デルの服装は全体的に暗めの青色を基調として、ローブのようなロングコートのようなものを着ていた。
(なんか……。魔法使いっぽい?)
しかし、オーグには特殊な効果の付いたアイテムはあるが、魔法は存在しない。デルは不思議な見た目をしていた。
「じゃあ次は私ねー」
黒江もアバターの隣に移動した。
「アバターネームは『ベリー』だよ。さっきも話にでたけど、雑貨屋をやっててアイテムを沢山持ち運ぶためにSTR(ストレングス)とVIT(バイタリティ)を上げてるの」
STRを上げると筋力が増えるため、ストレージの容量が増える。VITを上げればHPが増えるため、倒され難くなる。しっかりとステータスを考えているようだ。
黒江とベリーの顔もやはり酷似しているが、ベリーは赤い帽子をかぶっていた。服装は黒いジャケットと紺色のジーンズという恰好だ。
(帽子以外はカッコいい感じだな)
(次は僕の番だ)
「僕のアバターネームは『ダートム』です。戦闘は苦手なので観戦ばかりしてました。レベルは低いんですが、一応、AGI(アジリティ)がメインでDEX(デクステリティ)とCR(クラフト)にも振っています」
「へぇ…。ダートムはオールラウンダーなの?」
「いや……オールラウンダーじゃなくて器用貧乏だよ」
黒江が言ったオールラウンダーとはつまり、偏り無くステータスを上げてどんな場合でも対応できるようにするスタイルだ。オーグではレベルの数値よりアイテムの方がキャラクター構成に影響を与えやすいため、入手したアイテムによってキャラクターの育成方針が大きく異なる。そのため、オールラウンダーは少ない。
(それに……たかがレベル10じゃあ器用貧乏ですらない)
僕のマイナス思考を察したのか、清水先輩が声をかけてきた。
「そんな悲しそうな顔するなよ。それにキャラクターのステータスだけが勝敗を決めるわけじゃない」
「あ……はい。そうですよね」
(確かに二人の装備はどれもレアリティ高そうだな)
デルとベリーからはベテランプレイヤーな雰囲気が漂っていて、言葉には説得力があった。
第6話 意外な真価
アバター紹介も終わり、雑談していると道路を挟んだ向かいの校舎からチャイムが聞こえてきた。
「あ……もう高木の講義が終わる時間か」
と清水先輩が呟いた直後、それまで沈黙していたミドリさんが声を発した。
「やっと終わった~。結局入部希望者は来なかったのねー」
そう言って辺りを見回したミドリさんは僕と黒江を見るやいなや、再度動きを停止した。
「…………。 なんでダートムがここに……? ちょっと待ってて」
それっきりミドリさんはまた沈黙した。
数分後。
部室の扉が勢いよく開け放たれて高木先輩が入ってきた。
「まさか新入部員がダートムだったなんて……。 いやその可能性も十分ありえる話では……」
なにやらぶつぶつ独り言を言っている。
そんな彼女に清水先輩が声を掛けた。
「悪いな高木。講義の邪魔になると思ってメールを送らなくて」
「大体そんな事だろうと思ったわ。蒼矢は真面目なんだから……」
高木先輩は清水先輩を軽く拗ねたような目で見ている。
(あれ……? この人がミドリさんのリアル? ……僕と話してた時より子どもっぽいな)
清水先輩とは仲がいい様子だった。
高木先輩は僕に向き直った。
「あなたがダートムのリアル?本当はリアルでは会うつもりはなかったんだけどね。 私は3年の高木緑よ。よろしく」
「はい。1年の月村直紀です。 ……明日会う予定でしたけど、今日会ってしまいましたね……」
微妙な空気になっていると、黒江と清水先輩がことの経緯を高木先輩に説明してくれた。
数分後。
話が終わって経緯を理解した高木先輩は何かを思い出したように僕を見た。
「昨日のアンドロイドとの腕試しの後で、あなたが戦闘で勝てる方法を考えてみたんだけど……面白いことに気付いたのよ」
そう言って彼女は悪戯を思いついた子どもみたいにニヤリと笑う。
「え……!? どうすれば勝てるんですか!?」
「ふふ……♪ まぁまぁ。とりあえずダートムでジャンプしてみて?」
「え? い、良いですけど……?」
僕たち4人はスマホやコントローラーを取り出しVRモードを起動して椅子に座った。
オーグはVR装置が無い場合はゲームコントローラーやスマホ、ARグラスで表示したホログラムのキーボードなどでアバターを操作できる。
4人のアバターはミドリさんに促されるまま部室を出てきた。
「デル(蒼矢)とベリー(黒江さん)はダートム(月村さん)の装備とステータスは大雑把にしか知らないのよね?」
「あ、はい。レベルが低くて、AGI(俊敏性)を主に上げてるとか……」
とベリーは訝しげに答える。
すると、満足そうに頷いたミドリさんは、僕に高くジャンプするように手で促してくる。
「この前の腕試しみたいにロングジャンプして!」
「あ、はい。わかりました」
僕は大きく足を曲げて力を蓄えてから地面を蹴り飛ばした。
軽いアバターは思ったとおり、真上にはじけ飛んでいく。
「「ええ!」」
様子を眺めていたベリーとデルはそろって驚きの声を上げつつ僕を見上げている。
数秒後、僕は着地するとミドリさんはベリーとデルに質問をしていた。
「ダートムのSTR(筋力)値はいくつだと思う?」
「えっと……? あんなに高く跳べるってことは少なくとも50はある? でもレベルは低いって言ってたし装飾品でSTRを上げてるの?」
デルも頷いているから同意見らしい。
ベリーのその回答を聞いたミドリさんは僕の方を見てきた。
(あぁ。そうか)
僕はミドリさんの考えを理解した。
「STR値は1だよ。その代わり軽いんだ」
「え! 1なの!?」とベリー。
「なるほど!そういうことか!」とデル。
つまり、ミドリさんの考えはこうだ。
STR(筋力)は、上げれば上げるほどジャンプ力が高くなる。よって、数十メートル跳ぶということはSTRをかなり上げなければできない芸当だ。ダートムのステータスを知らない人はロングジャンプを見てSTRが相当高いと思い込む。だが実際にはSTRは1しかなく、重量軽減ベルトで自重が軽くなっているだけなのだ。
(この思い込みは確かに使えるかもしれない)
「戦闘相手は僕のSTRが高いと思い込み近接攻撃を何としても回避するはず。それで隙を作るってことなんですね!」
「そういうこと! 相手に本当のSTR値がバレないように立ち回る必要があるけど、これは使える戦法だと思うの!」
そうして僕たちは作戦を考え始めた。
第7話 クラフターの熱意
「その重量軽減ベルトを分解させてほしい!」
清水先輩は僕のベルトの効果を知ったとたん、目をキラキラさせながらそう言ってきた。
「え!? 分解? それはどういうことですか?」
「説明が難しいから、順を追って話そうか。オーグのクラフトシステムについてはどれくらい知ってる?」
「クラフトには設計図、素材、プログラムの三つが必要ということだけです。自分でしたことはありません」
「コホンッ」
咳払いすると清水先輩は急に生き生きとした表情で語りだした。
「そうか。補足すると、設計図というのは作りたいアイテムの外見を3Dモデルとして形作るものだ。そして、素材とはオーグの中で手に入るアイテム、例えば、金属やギア、モーターなどのことだ。これらは『内部パーツ』と呼ばれ、これ以上分解することはできない。プログラムはフローチャートのように比較的簡単に作ることができる。モーターを素材として使うと、フローチャートで『モーターを回転させる』というプログラムが使えるようになるんだ。よって、内部パーツが無ければまともにプログラムを組むこともできない」
「へ~。それなら素材さえあればクラフトではどんなアイテムでも作れるんですね!」
「そうはいっても、クラフトはそんな万能なものではないよ。ステータスのクラフトレベルが低いと、アイテム生成に時間がかかる。また、プログラムの容量はクラフトレベルに比例しているため、レベルが高くないと複雑な物は作れないんだ」
「なるほど。結構制限があるんですね」
「ああ。しかも、普通は戦闘で素材を手に入れつつクラフトレベルを上げるのは至難の業だ。だが、俺はアイテムクラフトの依頼を受けて、その報酬でポイントを受け取り、レベルを上げてきた。だからこれまでほとんど戦闘をしていない」
「それでアバター紹介でクラフトに極振りと言ってたんですか」
つまり、アイテムクラフトのプロということだ。
「そう。それで本題なんだが、一度完成されたアイテムはダメージを受けると耐久値が減っていくだろう? 耐久値が0になれば当然消えてしまう訳だ。でも、俺は物理法則に則って丁寧に分解すると耐久値が減らないことに気付いたんだよ」
そこで言葉を切ると、どこか恍惚とした表情をして話を続ける。
「前に、居ても立っても居られなくなって、高木に協力してもらってモンスターのアンドロイドを一体捕獲してみたんだ。それで、分解してみたら、ロボットの構造がほぼ全て再現されていた。しかも分解したそばから部品はアイテムになった。それで確信したよ。このデジタル世界の物質はほぼ全て物理法則に則っていることに。」
(本当かよ……。モンスターを捕獲したなんて聞いたこともない)
ふと高木先輩を見ると、当時を思い出したのか物凄く険しい顔をしていた。よほど苦労して捕獲したのだろう。
清水先輩はそこで正気に戻ったような顔をした。
「つまり、魔法が存在しないデジタル世界で、特殊な効果を持っているアイテムは、何らかの仕掛けがあるはずなんだ。異常な現象を発生させるアイテムは大抵、その現象を引き起こすためのナノマシンを散布している可能性が高い」
「なるほど。だから僕の重量軽減ベルトも分解したいんですね」
「そういうことだ。……だから頼む! 分解してみたいんだ! なんならそのベルトを材料にして新しいアイテムにしても良い!」
(清水先輩人格変わりすぎだろ……! クラフトオタクっていうよりデジタル世界オタクなのかな……?)
「ダートム、いえ、直紀君。蒼矢はすこし残念なやつなんだけど、クラフトの腕は確かよ。せっかくだからあなたの指輪と一緒に改造してもらえば良いんじゃないかしら?」
「指輪? 月村さん。指輪って?」
「『静寂の指輪』といって装備すると足音とかを小さくしてくれる装飾品のことです」
「ふむ……。音を小さくするのか。それも見てみたいな……」
「そこまで言うのなら……良いですけど。でも間違って壊したりしたら弁償してくださいよ?」
「ああ! もちろんだよ!」
そう言って嬉々としてベルトと指輪を受け取ると作業机に駆けて行った。
「蒼矢はああなるとしばらく何言っても駄目ね……」
高木先輩が何かを諦めたような表情でそう言った。
「清水先輩ってアイテムのことになると人が変わりますよね」
黒江は顔を引きつらせて苦笑交じりに呟いた。
(世の中には変わった人がいるんだなぁ……)
「ところで直紀君。 私、あのベルトのデメリットについても考えたの」
「え! 直紀のベルトってデメリットとかあるの?」
「ああ。黒江も使ってみればすぐに気付くと思うけど、あの重量軽減効果は重い攻撃ができなくなるし、敵にちょっと殴られただけでも結構大きく吹き飛ばされるんだよ」
「そうそれ! この前の腕試しのときは重い一撃を出すために高いところから落下して威力を上げていたけれど、もっと良い方法を思いついたのよ」
「「もっと良い方法?」」
僕と黒江は揃って首を傾げる。
「簡単な話よ。オーグでは攻撃の威力が速度や重量によっても変わるのよね? なら、軽くても加速度があればそこそこ威力がでるはずでしょう?」
「ああ、なるほど。物理でいうとF=maというやつですね。 力(F)は質量(m)×加速度(a)だから、別に落下しなくても、速く動いていれば良いってことか」
「そういうこと!」
「でも直紀ってAGI(敏捷性)も低いんだよね?」
「黒江の言う通りだよ。高木先輩。僕はAGIも低いので早くは走れませんよ?」
「ふふふ……♪ そこがポイントなのよ。オーグでは、ジャンプ力はSTR(筋力)とAGIの二つが影響するから高く素早く跳ぶには本来その二つのレベルを上げる必要があるんだけど、さっきジャンプしたダートムはSTRもAGIも低かったのに一瞬で上空に跳んだでしょ? つまり、接地面に対してほぼ垂直に力を加えるジャンプなら、走るのとは違って力が上と前に分散しないから、速く動けるってことなの」
「……じゃあ、走るんじゃなくて、壁を蹴って相手に高速で接近して攻撃すれば良いってこと……?」
「まぁ、簡単に言えばその通りね」
言葉では簡単に言えるが、実際これはかなり難しい。地面に垂直に立っている壁を蹴ったとしても重力で落ちるわけだから、角度を斜め上にしておかないと敵にたどり着く前に地面に墜落してしまう。おまけにVR装置で操作する場合、かなりの運動神経が必要になる。
(でも、使いこなせれば、レベルが低い僕でも戦えるかもしれないな。……敵を前にして動ければの話だけど)
考え込んでいると突然、黒江が拗ねたような顔をした。
「いいなー。直紀は色々教えてもらえて」
高木先輩が僕の話ばかりするから面白くなかったのかもしれない。
「あぁ、ごめんなさいね。でも黒江さん(ベリー)はもう十分強いんでしょう?」
黒江は雑貨屋の品物を自分で敵を倒して仕入れているため、実際かなり戦えるらしい。以前聞いた話によると中遠距離ではサブマシンガンを乱射し、中近距離ではマチェット(中南米の蛮刀のこと。マチェーテともいう)を振り回す戦闘スタイルなんだとか。
(どおりで荒々しいわけだ……)
「ちょっと直紀! 今なんか失礼なこと考えてたでしょ!」
「え! そ、そんなこと考えてないよ!」
(しまった。 顔に出てたか!)
「まぁ確かに?自分でいうのは何だけど、私は強いと思うよ? けど、直紀は絶対私のこと女子だと思ってないでしょ!?」
黒江はますます不機嫌になっていく。
(えぇー。黒江ってそんなこと考えてたのか……。気さくに接しすぎたのかもしれないなぁ)
「わ、悪かったよ! 配慮が足りなくて。……以後、気を付けます……」
高木先輩はそんな僕らを暖かい目で眺めていた。
この日、僕は清水先輩や黒江の意外な一面を見ることができたのだった。
第8話 応用と進化
土曜日。
当初からミドリさんのベースルームに集まる約束をしていた僕は、自宅からオーグにログインした。アバターは以前設置したログインマーカーがあるため、直接その座標に出現できる。
ドアを開けた僕は驚いた。
「あれ!? ベリーとデルさんも来たんだ」
「おー直紀、じゃなかった。ダートム。私も前にここに来たことがあってさ。面白そうだから来ちゃった」
オーグ内ではなるべく現実の名前は言わないことがマナーとなっている。が、顔の造形が現実とアバターで似ている場合、うっかり現実の名前を呼んでしまうことがある。
(ミドリさんがメールで教えたのかな? 一応バイトとして来たんだけどな……)
今日は本当なら、メッセンジャーとして戦闘力不足の僕がまともに仕事ができるように作戦会議をする予定だったのだが、戦い方の工夫については昨日既に話していたため今日はその続きだ。
ミドリ、ベリー、デルの三人は部屋の左隅にある工房に集まってなにやら話をしていたらしい。
「ああ、ダートム。いらっしゃい。待ち合わせ時間ぴったりね」
時刻は午前10時だ。
「こんにちは。ミドリさん。今は何をしているんですか?」
「それが、昨日あなたが渡したベルトと指輪。中身の仕組みが分かったらしくて、デルが騒いでたのよ」
椅子に座ってぶつぶつ独り言を言っていたデルが、勢いよく振り向いて僕を見た。
「このベルトと指輪はなかなか面白い仕組みだったよ」
机の上には分解した後で組み立てなおしたのだろうか。工具と一緒に『重量軽減ベルト』と『静寂の指輪』が置かれている。
「どういう物なんですか?」
「俺が予想した通り、二つともナノマシン(粒子)を散布していたよ。ベルトはバックル、指輪は宝石からそれぞれ発生しているらしい」
「まぁ、そこしか仕掛けがありそうな所は無いですよね」
「ああ、その通りだ。で、効果なんだが、どちらの粒子も接触した対象の表面を覆うような特性が確認できた。ベルトの粒子は重力と反発しているということしか分からなかったけど、指輪の粒子は細かく分析できたよ。これは粒子同士が結合して膜を作っているんだ。それで粒子が空気の振動を吸収しているから装備者の音が減少するってことらしい」
(正直、何がすごいのかよく分からない)
ARグラスに搭載された表情トラッキング機能が忠実に動作して、ダートムの顔を僕と同じく苦笑いさせる。ミドリさんもベリーも似たような顔をしていた。
反応に困っているとミドリさんが助け舟を出してくれた。
「要するにデルは何がしたいの?」
その言葉を待ってましたとばかりに興奮した様子で頷く。
「そう! 問題はそれなんだ! この指輪の効果は単に音を消す以外の使い道があるんだよ」
「『音を消す以外の使い道』……ですか?」
「うん。普通に指に付けただけだと、粒子の濃度が足りなくて足音を小さくする程度しか振動エネルギーを吸収できない。だけど、発生し続ける粒子を密封して圧縮してから一気に放出すれば、かなりの量のエネルギーを吸収できると思う」
そこでベリーが異議を唱えた。
「でも先輩、それって一瞬だけ無音になるだけなんじゃ?」
「いや、これは音を消すんじゃなくて、防御に使うんだ。音と同様に、熱や風圧もこの粒子なら吸収できるはず」
「つまり……爆発を防げる?」
ミドリの言葉にデルが大きく頷く。
「それで、ダートムの弱点を補えて、なおかつ、戦闘スタイルと相性が良いアイテムを考えてみた」
ストレージから設計図を取り出すと僕に渡してくる。
「これは、ガントレット(籠手)ですか?」
その設計図には左右非対称の一対のガントレットが描かれていた。左腕の方がやたらと大きく、頑丈に作られていて、右腕は薄くて軽そうだ。
「ただのガントレットじゃないよ。左腕に爆発反応装甲(リアクティブアーマー)を付けたんだ。静寂の指輪を左腕に、重量軽減ベルトを右腕に埋め込む」
「りあくてぃぶ……ってなんですか先輩」
ベリーが怪訝そうに質問した。
「簡単に言うと、砲弾を受けたときに爆発して攻撃の軌道を逸らす装甲のこと。本来なら生身じゃなくて戦車に付けるようなものなんだけど、さっき言った指輪の効果を上手く使えば、生身でも爆発によるダメージを軽減して使えるはずだ。ただし、『音を消す』っていう効果は使えなくなるけどね。それと、ダートムなら小さな爆風でも吹っ飛ぶことができるだろう?」
そう言ってニヤリと笑う。
腕の籠手で爆発なんて起こしたら普通は腕ごと吹き飛びかねない。だが、確かにリアクティブアーマーなら攻撃を回避できなくても防御可能だ。さらに、爆風に乗って敵と距離をとることもできる。
感心したようにミドリさんが設計図を見つめる。
「誤爆さえしなければなかなか良いアイテムね。今、ダートムのアイテム保護枠はベルトと指輪の二つがセットされているけど、メッセンジャーなら保護枠には最低でも1つ荷物を入れるわけだから、二つの装飾品を合体させるのは良い判断だわ」
ダートムの弱点である『緊張すると動けなくなる』ことは昨日話していたが、それをしっかり考慮して、2つの装飾品を一つに合成することで保護枠を一つ空けることまで想定されている。このアイテムを設計したことが、彼がプロのクラフターということを物語っていた。
デルさんは急に真面目な顔になって僕とミドリさんを交互に見た。
「気に入ってもらえたようで良かった。……お願いだ。指輪とベルト以外の材料は全て俺が用意するから、それを作る代わりに、今後メッセンジャーとして襲撃されたときに手に入れた戦利品を、俺にいくつか融通してくれないか? 頼む!」
こんな複雑なアイテムを実質無料で作ってもらえるなんて願ったり叶ったりだが……。
「ぜひ、お願いします。と言いたいところだけど……」
(僕はそもそもミドリさんに雇われてるだけなんだけどなぁ。というか、清水先輩もメッセンジャーの仕事について色々と知っていたのか……)
そう思って雇い主を見てみると、彼女は盛大に呆れた顔をしていた。
「あなたねぇ……。そもそもこの工房が、私が買ったベースルームを半分も占拠していることを忘れてるんじゃないでしょうね?」
「え! 今それを言うのは卑怯だろう! ここを借りる代わりにミドリの装備をほとんど作ってやったじゃないか!」
「それはそうだけど……。いくらなんでも図々しいっていってんのよ!」
二人の口喧嘩を僕とベリーはただ唖然と眺めることしかできないのだった。
数分後、喧嘩にはミドリさんが勝ったようで、デルさんは悔しそうにしていた。
そんな二人を見ていたベリーはというと。
「あれ……? 部長より副部長の方が強いの……?」
と独り言を言っていた。
第9話 リトライ
特注のガントレットが完成した後、モンスターと腕試しをすることになった。性能のテストと使い勝手の確認が目的である。
クラフトしたアイテムの名称は自由に設定できるため、『爆発反応籠手(リアクティブガントレット)』と名付けた。しかし、爆発以外に重量軽減効果もあるのだが、そこは名前が長くなるので勘弁してほしい。
現在、ダートム、ミドリ、ベリーの三人でアンドロイドを探して街を歩き回っている。
デルが居ないのは、昨夜から一睡もせずにベルトと指輪の仕組みを分析して、さらにガントレットの設計図を作ったために体の限界が来たらしく、使用方法と注意点を伝えた直後寝落ちしてしまったからだった。
クラフトによるアイテム生成は、ストレージに必要なアイテムが入っている状態で設計図の製作開始ボタンを押すか、ボイスコマンドによって行われる。そのため設計図どおりに自動で生成されるのだが、もし手作業で作ることになっていたら徹夜明けでフラフラの彼にまともに作れたとは思えない。そんな状態だった。
XXXX
(徹夜してたなんて……部長には悪いことしたなぁ)
と考えていると、僕の表情を読んだのかミドリさんがフォローのようでフォローではないことを言ってきた。
「彼はいつも集中するときは徹夜するのよ。 好きでやっていることなんだから気にすることないわ」
ベリーが不思議そうにミドリさんの顔を見る。
「……なんか先輩は部長に対して当たりが強いですよね」
「そうかしら? ……まぁ、腐れ縁ってやつよ」
軽く流されてしまった。高木先輩と清水先輩は昔からの知り合いなのだろうか。僕と黒江はイマイチ先輩たちの関係性に踏み込めないのだった。
歩き続けること数分、ちょうど前回の腕試しをした場所に近づいたころ。行く手にモンスターが現れた。
そのモンスターは前回戦った【Wandering Android】(ワンダリングアンドロイド)と似ているが、装甲が違った。白色ではなく、金属光沢のある黒色になっている。さらに、左腕には小型の盾が装着され、右腕にはアサルトライフルを持っていることが確認できた。
敵はまだこちらに気づいていない。獲物を探しているかのように左右を見回しながらゆっくり歩いている。
「あれは……見たことないタイプね」
「あぁ、アイツは森によくいるヤツですよ! 名前は確か【Defensive Android】だったと思います。この辺にいるなんて珍しいなー」
(ディフェンシブの意味は『防衛的』だったっけ? 強そうだなぁ)
「ベリーちゃんは戦ったことあるの?」
いつの間にかミドリさんはベリーを「ちゃん」付けで呼んでいる。仲が良さそうで何より。
「はい。狩りでよく森とか山に行くんですけど、そこで時々見かけるんです。ダートムは?……あぁ……あるわけないか」
(今、バカにされた!?)
「……悪かったな。戦ったことなくて! でも森なんて危険すぎるだろ! 低レベルで行ったらどうせ瞬殺されるに決まってる……」
自分で言ってて悲しくなってきた。
「あはは! やっぱり行ったことなかったかぁ。まぁでも、その判断は正解だよ。まともな装備なしでそのレベルならホントに瞬殺されてただろうね」
以前から、森には強力なモンスターが出現しやすいのではないかとオーグプレイヤーの間では噂になっていた。
「そういうベリーはどうなんだよ。あいつに勝てるの?」
あいつとはもちろん、前方を歩いているアンドロイドのことだ。
「うーん。5回中2回勝てるかどうかってところかな。あいつの装甲。銃とか刃物に強いんだよね。わたしとは相性が悪い」
ちょっとバツが悪そうに白状した。
「なんだ。お前でも勝てないんじゃん……」
「あら、ベリーちゃんでも勝てないの?」
ベリーの獲物はサブマシンガンとマチェット(蛮刀)だったはず。サブマシンガンは貫通力が低く、短射程のものが一般だ。装甲の隙間を正確に攻撃するにはサブマシンガンでは難しいのだろう。マチェットは接近しないと届かないから、近距離戦が得意なベリーは確かにアサルトライフルを持っている敵には弱そうだ。
「うーん。勝てないというより、負けると思ったら逃げてるんです。死んだらせっかく獲ったアイテムがなくなっちゃうので」
「なるほど。雑貨屋も大変ねぇ」
「それでよく人をバカにできたよな?」
「うぅ、ごめんごめん! ……でもちょっとからかっただけじゃん……」
「二人とも喧嘩はほどほどにね……。で、どうする? あいつはやめて他のを探す?」
正直、戦いたくない。でも、戦いから逃げ続けるのは自分でも嫌気がさした。
(今回はガントレットの性能テストの為だし。いい機会だ)
「いえ。せっかく強いのがいるんですから、あいつで試してきます」
「わたしはミドリさんとここで見てるから。……危なくなったら援護射撃くらいならしてもいいよ?」
「じゃあ撃ってほしくなったら知らせるよ」
とは言ったものの、これはリベンジマッチだ。前回より敵が強いとはいえ、できれば一人で勝ちたい。
いわゆるゲーマーのプライドみたいなものが僕の胸にはあった。
「わかったわ。頑張ってね!」
「はい!」
XXXX
遡ること20分前。
「使い方を説明する」
完成したリアクティブガントレットを持って事務所の外に出てきた僕は、デルさんから説明を受けていた。
「手順は簡単だ。1、左腕のガントレットにチューブ型の爆薬を差し込む。2、エネルギーを吸収するナノマシンが十分な量溜まったことを確認する。3、起爆する。左手のグローブに取り付けたスイッチを押すか、強い衝撃を受けたとき勝手に爆発するからな。ただし、ナノマシンの充填が足りないと、かなりダメージを受けるから気をつけてくれ」
「わかりました。誤爆しないように練習が必要ですね」
それから何度か使ってみた結果。重量軽減効果は以前と変わらないが、静寂の指輪が使えなくなったので足音が大きく聞こえることに違和感がある。ナノマシンの充填は最低でも20秒、完全に自分にダメージを受けずに使うには、30秒はかかることも確認できた。
「じゃあ俺は寝るから、なにかあったらメールで頼む」
デルさんはあくびを噛み殺しながらそう言った。
XXXX
現在。
(装甲が固いとすると、前みたいにナイフで叩き割るわけにはいかないか。装甲の隙間を正確に狙うには……)
今回も奇襲からの短期決戦を挑むしかない。
(出し惜しみは無しだな……)
作戦を考えた僕は早速行動に移した。
敵に気付かれないギリギリの距離まで小走りで近づき
(ここからは……っ!)
前に大きく跳ぶ。着地はアンドロイドの真後ろ。
『タンッ』
当然、着地の音で敵が振り向く。それは想定内。
振り向きざまにアサルトライフルを持ち上げてくる。
敵が振り向くということは、銃をもっている右手がちょうど僕から見て左側にくるということ。
そして僕の左腕にはリアクティブガントレットの爆薬がある。
『バァンッ!』
轟く爆音。僕はガントレットを敵の腕に押し付けた直後、爆薬を起爆した。
(風圧がすごいな!)
足を踏ん張っていなければ後ろに吹き飛ばされていたかもしれない。
作戦通り、アンドロイドの手からアサルトライフルを弾き飛ばすことは成功。自分にはほとんどダメージは無いが、表示された敵のHPは2割ほど減少している。
「よしっ!」
しかし、銃以外にも目の前の敵は武器を持っている。まだ動きを止めるわけにはいかない。
ハンドガンを敵の装甲の隙間にねじ込んで連射する。
『ダンッ、ダンッ、ダンッ、ダンッ、ダンッ』
敵のHPが急激に減っていく。残り4割。
「思ったより硬いな……!」
前回のアンドロイドならこれで片が付いたはずだが、さすがに強い。
『ゴッ!』
アンドロイドも当然抵抗してくる。殴られた僕は後方の住宅目掛けて吹っ飛んでいった。
空中を舞っている時、アンドロイドと目が合った。暗い眼孔の奥で機械の目が赤く燃えるように光る。
プログラムで動く人形から、明確な殺意を感じる。
「……ッ! たかがアンドロイドに気圧されてどうする!」
目を逸らすと、敵の右腕が黄色く発光していることに気付いた。
(こいつもレーザーキャノン!?)
アサルトライフルに気を取られて敵の武装を忘れていた。普通に考えて、「ワンダリングアンドロイド」より強い「ディフェンシブアンドロイド」の武装が弱いわけがない。
アンドロイドの右腕が、急速にその輝きを増す。
「ッ! チャージが速い!」
発射と同時に左右のガントレットを体の前で構える。爆薬が入っていないガントレットでは、普通に高威力の弾を装甲で受けるだけだが、なにもしないより遥かにマシだ。
背中から建物に激突して着地。直後、金属が削れるような甲高い音と閃光が轟いた。レーザーキャノンが着弾したのだ。
運よくガントレットの装甲部分に当たったが、激突の衝撃と受け止めきれなかったダメージでHPが一気に5割も消し飛んでしまった。
「……」
砂煙の向こうに見える敵は、赤い双眸をこちらに向けたまま沈黙している。
幸いなことに、レーザーキャノンは連射できないようだ。僕の様子を探っているのか、追撃してこない。
「今の内に……」
急いでストレージから予備の爆薬を取り出して装填する。
あと数秒でナノマシンも十分な量になる。
(また撃たれるまえに何とかしないと!)
攻撃しなければ勝つことはできない。ハンドガンの弾はあと2発しかない。先に撃った5発のダメージで敵は動きが鈍くなっている。
つまり、近づけばまだ勝機はある……ッ!
第10話 勝負の行方
アンドロイドとの一騎打ちに挑むダートムだったが、想定より強い敵を前に危機的状況にあった。
XXXXX
敵は動かない。
レーザーキャノンは、おそらくアンドロイドタイプのモンスターにとって最終兵器のようなもので、クールダウンが必要なのだろう。
ハンドガンの弾はあと2発。
ここから撃ったところで僕の命中精度では牽制にしかならない。
(もっと弾を買えればなぁ……)
無いものをねだっても仕方がない。今使えるものは、ナイフとガントレットと予備の爆薬だけ。
見れば、さっき銃弾を撃ち込んだところから火花が出ている。敵はそこを庇うようによろけているのが分かった。
(あいつ……。ダメージで関節が動かないんだ)
つまり、接近戦に持ち込めば勝機はある……!
僕は後ろの壁を両足で蹴り飛ばした。
まるで飛んでいるかのように、敵に向かって一直線に突っ込んでいった。
すれ違いざまにナイフで首を切りつける。
速度のついた良い一撃だったが、金属同士が削れる不協和音を奏でただけで、装甲に阻まれてダメージはほとんどない。
「ナイフでもダメか!?」
ブーツの底でブレーキをかけながら振り返る。そこには、黄色に発光する敵の腕があった。
レーザーキャノンをチャージしているのだ。
(まさか、もう撃てるの……? まだ数秒しか経ってないのに!)
装甲と武装。そのどちらも想定より格段に強い。
敵を前にして、自分の考えが甘かったことを悟る。心に影が忍び寄ってくる。
——僕は、また、動けない。
足が言うことを聞かなかった。本能的な恐怖で頭が塗りつぶされる。
(やっぱりまだ早かったんだ。黒江でも難しい敵を僕が勝てる訳……)
——ない。
そう思う直前。
左腕の籠手が、まるで折れかけた心を繋ぎ止めるように、青く輝いた。
光自体はとても小さなものだ。籠手の装甲の隙間から溢れるだけ。
でも、その意味を僕は知っている。
ナノマシンが限界まで溜まった証。
自身へダメージを負わずに爆発を使える。
恐怖が一瞬だけ消えた。
光に応えるように、僕は腕を構える。
それは、レーザーキャノンの発射とほとんど同時だった。
目が眩む閃光と衝撃、爆音を多種多様なVR装置が体に叩きこんできた。
「ぐっ!」
(触覚再現ベストなんて着るんじゃなかった!)
爆発で発生した煙で敵が見えない。
「助かった……?」
でも、まだ勝ったわけじゃない。
━━今の内に体勢を整えないと!
すぐ近くに住宅の塀が見えたので急いでその影に滑り込んだ。
塀の影からそっと覗くと、ちょうど煙が晴れたところだった。
敵は当たりを見回している。どうやら僕のことを探しているようだ。
慌てて頭を引っ込める。
敵のHPは残り4割。それに対して僕のHPは残り5割。
ここまで劣勢にもかかわらずHP量で勝っていることが、ガントレットの性能の高さを物語っていた。
(でも、一撃防いだだけだ……。)
次も耐えられる保証はない。
ナノマシンの充填が間に合わなければ、確実に死ぬ。
僕はパニックに陥る一歩手前だった。
心臓の鼓動がやけに大きく感じる。
——これはゲームだ。実際に死ぬ訳じゃない。
そう自分に言い聞かせても心臓は落ち着こうとしない。
塀の向こうでロボット特有の駆動が近づいてくる。
ここにいても見つかるのは時間の問題だ。
(に、逃げないと!)
咄嗟に足を踏み出した僕は忘れていた。以前と違い、静寂の指輪の効果がもうないことを。
そして不運にも足元の地面は砂利だった。
小石が軋む軽やかな音が盛大に響き渡る。
(しまった……!)
アンドロイドが反応したのか、駆動音が一瞬止まる。塀越しに向こうからじっと見られている気がする。
体中から冷や汗が噴き出てきた。
攻撃が効かない。逃げることもできない。
僕はほとんど自暴自棄になっていた。ミドリさんとベリーに助けてもらわないのは、もはや意地になっていたからだ。それに、応援を呼ぶために声を出せば、すぐ近くにいるアンドロイドに僕が攻撃される方が早いだろう。
せめてなにか━━もう一撃。
手持ちで使えるのはナノマシンが切れたガントレットだけだ。
僕は縋るような気持ちでストレージを開いた。当然、中身はほとんど入っていない。
空欄だらけのホロウィンドウを覗いて歯噛みする。しかし、そこにあった数少ないアイテムを見つけた僕は、賭けにでることにした。
「迷ってる時間はないな……!」
ストレージで見つけたアイテムとは、ガントレットに装填するための予備爆薬だ。デルからは爆薬を10本とその設計図を受け取っていた。既に2本使ったから残り8本。
ガントレットに爆薬を1本装填する。残り7本を全てをストレージから取り出して持った。
深呼吸して覚悟を決めると、僕は塀の反対にいるアンドロイドの真上目指して両足で地面を蹴り飛ばした。
塀を超えた瞬間、敵に全力で持っていた爆薬を投げつける。突然のことにアンドロイドは対応しきれていない。赤い双眸で僕を追ってくる。
空中を舞う爆薬の塊目掛けて、その上からハンドガンを向ける。
たった2発の銃弾では敵を倒すことはできない。着火装置のない爆薬を投げただけでもなにも起きないし、ガントレットに装填して使えば自分にダメージがある上に、同時に全て使うことができない。
しかし、爆薬をバラまいてから銃弾で起爆すれば安全に攻撃できる。
2発中1発当たれば連鎖爆発できるが、当たらなければ痛烈な反撃を食らってしまうだろう。
結果。
銃口から放たれた弾丸は━━爆薬に命中した。
「やった!」
爆発が次々に発生しては収束していく。閃光の隙間から、爆風で吹き飛ばされるアンドロイドが見えた。HPが急激に減少していく。しかし、残り1割でブレーキがかかった。
(なんで!? あの爆発で耐えられるのかよ!)
残る爆薬はガントレットの中だがナノマシンが足りない。
━━でも、これなら勝てる!
僕はアンドロイドの上に落下した。
ダメージ覚悟のゼロ距離爆破。
全く緩和されていない爆風で体が打ちのめされる。僕とアンドロイドのHPが破竹の勢いで減っていった。
爆炎が収まったとき、アンドロイドは電子的なエフェクトを散らしながら消えていくところだった。
ダートムのHPは残り1割以下。
辛くも、僕は戦いに勝利した━━。
第11話 戦いの余韻
ディフェンシブアンドロイドとの戦闘の直後、ミドリさんとベリーが駆け寄ってきた。
「よく勝てたね! 正直負けるかと思ったよ!」
「お疲れ様! 私も、見てて冷や冷やしてたのよ。とりあえず、勝利おめでとう」
「ミドリさんもベリーもお待たせ。 ギリギリだったけどなんとか勝てました」
「結局、最後まで私たちに撃たせないで一人で倒しちゃうんだから……。意地っ張りだよねぇー」
ベリーが拗ねたような声で言った。
それを聞いたミドリさんはベリーとは対照的に平然としている。
「まぁ、一人で勝ってこその腕試しよね」
(もしかして、ミドリさんは僕が応援を呼ばないのを分かってたのかな?)
以前から思っていたけど、彼女は人の考えを読むことが得意なようだ。
「前は最後にミドリさんに助けてもらいましたけど、負けるのは悔しいじゃないですか。どうせなら1対1で勝ちたいし……」
「そういえばさっき爆薬を銃で撃ってたけど、あれは惜しかったね」
(……惜しい?)
「どういうことですか?」
「もう少し遅く撃ってればそれで勝てたと思うよ。さっきのは爆発がアンドロイドから少し離れたところだったからさ」
「━━そうか、それで爆薬7本も使ったのに倒しきれなかったのか……」
僕はあのとき跳んで上から見てたから距離感が掴めていなかった。
「そのガントレット、上手く使ってたわね」
「そうですね。防御にも攻撃にも使えるので、便利です」
「でも、最後の自爆は良くやったと思うよ。私なら怖くて自爆なんてできないな」
「そういえば、ダートム。今HPいくつ?」
「今? 1割弱だけど……」
「はぁ!? 1割弱! ほんとにギリギリじゃん! はやく回復しないと━━」
ベリーは慌ててポーチから注射器型の回復キットを取り出すと僕の腕に刺してきた。
この回復キットは2分かけてHPを最大値まで回復するアイテムだ。
「え、あ、別にいいのに……。戦闘中じゃなければログインしなおすだけでHPは回復できるから……」
「そんなことは知ってるけど……。そ、そう狙撃! 誰かに狙撃でもされたらどうすんのさ」
「えぇ……。狙撃って━━」
「いいじゃない。ベリーちゃんはダートムのことを心配してるのよ」
「っ! ミドリさんは余計なこと言わないでください」
ベリーはそっぽを向いてしまった。
(なんだかんだ黒江って優しいよな……)
そんなことをしばらく話した僕らは事務所として使っているベースルームに帰ってきた。
ドアを開けるとそこにはデルの姿があった。
「あら? あなたいつも徹夜明けは夕方まで寝てるのに。珍しいわね」
「ん、戻ってきたか。 いや~本当はもっと寝たいんだが、重要なことを思い出してね。すぐに起きた」
「重要なこと?」
「そう。ベリーの商品をまだ見せてもらってない!」
デルが目を輝かせてベリーに詰め寄っていった。
(この人……ほんとにアイテムのことになると目つき変わるよな)
「あ、わたしの商品?手持ちのものなら今見せられますけど……」
「ぜひ見てみたい!」
デルとベリーは工房の机に行き、アイテム談義を始めてしまった。
そんなやり取りを見ていた僕は隣のミドリさんに声を掛けられた。
「ねぇダートム」
「はい。なんですか?」
「腕試しもしたことだし。そろそろメッセンジャーとしての仕事、してみる?」
(願ったり叶ったりだ。バイトに採用してもらってからまだ一度も仕事らしいことをしてないし)
「でも……。良いんですか? 僕まだ弱いですけど」
ミドリさんは少し考えるような素振りを見せながら話始めた。
「さっきの戦闘を見ていて思ったのよ。あまりモンスター相手に戦っても変な癖がつくかもって」
「変な癖……ですか?」
「ええ。モンスターとプレイヤーは、動きが基本的に違うでしょ?それに、私たちはメッセンジャーだから戦闘に勝たなくても、逃げても良いわけだし」
「なるほど。確かにそうですね」
言っていることは本当だと思う。しかし、まだ不安要素はある。
「でも、僕のレベルだと攻撃すら効かないこともあるってアンドロイドと戦ってて分かったんです」
ミドリさんはまるで、その言葉を待っていたというかのように得意げな顔になった。
「だから、私も一緒について行くのよ」
「へ?」
言っていることはわかる。要は、僕に足りない攻撃力をミドリさんが補うということだ。しかし、わざわざ僕を雇ったのはミドリさん自身が攻撃にさらされずにメッセンジャーを普及させるためだと思っていた。もしそうでなければ、ミドリさんが一人でメッセンジャーをしていれば良いのだから。
それに、仕事は完全歩合制だったはず。僕の給料が減るのは望ましくない。
つまり━━
「それだと仕事の意味が……」
反論を言おうとしたとき、ミドリさんが遮ってきた。
「いいでしょ! 雇ったのは私なんだし。給料も変えなくていいから。……私も最初はあなた一人でやってもらおうと思ってたんだけどね。でも、なんだか不安になっちゃって」
(不安になった!? そんなに僕は頼りないかな?)
いや、事実だ。僕は頼りない。それは自分でもわかっていた。でも面と向かって言われるとさすがにショックだった。
「え、あ、あなたが弱いからって意味じゃなくて……それも少しあるけど」
落ち込む僕を見たミドリさんは慌てた様子でそう言うと、俯いて続きを口にした。
「ダートムが頑張って戦ってるのに私は見てるだけなんて、なんか卑怯な気がするのよ」
「……卑怯、ですか?」
「ええ。私、卑怯なのは嫌いだから」
「━━別に僕は卑怯だと思いませんよ。でも、わかりました。それなら一緒にメッセンジャーやりましょう」
別に卑怯とは思っていない。これは本音だ。ただ、彼女はとっても誠実な人なんだろうなと思った。
ミドリさんは照れながら僕を見てくる。
「ありがとう」
それから僕たちはメッセンジャーとして初仕事となる作戦会議を始めた。
事務所の中でベリーとデル、ダートムとミドリの話し声が賑やかに響く。
僕は、この瞬間を心地良いと思った。
第12話 サイドストーリー:ベリーから見た景色
わたしは黒江南。この春、大学に入学した女子大生。
オーグではベリーという名前で露店の雑貨屋をしている。
最初は「ゲームで稼げたらお得じゃん!」という思いで始めたものの、商品の仕入れが思ったより大変で学業との両立に苦労した。
同じ高校出身の月村直紀とは最近よく話すけど、実は高校生のときから彼のことは気になっていた。
彼は友達がいないらしい。というか、誰かと一緒にいるところをほとんど見ない。
わたしはそんな彼が心配で時々様子を伺っていた。
1年前、高校3年生になったばかりで世間がオーグの発売で盛り上がっていたころ。
風の噂で直紀もオーグをプレイしているらしいと知ったわたしは彼との会話のきっかけにならないかとオーグを始めた。でも、オーグが発売されて以降、ますます彼は人を寄せ付けなくなっていった。
心ここにあらずというか、まるでデジタル世界しか見ていないような目をしていた。
そんな様子の直紀に話しかける勇気は、残念ながらわたしには無い。でも、高校卒業が間近に迫るころには、いつの間にか彼の目は普通に戻っていた。
結局、ほとんど会話できないまま高校を卒業してしまったけれど、偶然、大学が彼と同じだった。
わたしにはこれが運命的なものに思える。
今度こそ後悔したくないから、わたしは直紀に声を掛けたんだ。
それからというもの直紀とは少し仲良くなれたと思うの。
彼もオーグをプレイしているはずなんだけれど、わたしの話は楽しそうに聞いてくれるのに自分のことは余り話してくれない。なにか聞かれたくないことがあるんだろうから無理に聞こうとはしないけどね。
━━
もう少し彼と仲良くなりたくてパソコン部に誘った結果。色々知ることができた。思い切って誘ってみた自分を褒めてあげたい。
直紀が自分からオーグの話をしない理由が分かった。彼は戦闘がとても苦手なのだ。そのことを隠したかったのだと思う。
そこで、わたしの先輩であり、雑貨屋のお客さんでもある緑さんが彼に色々と協力して戦闘訓練をしているらしい。
(わたしが緑さんにオーグについて色々と教えてあげたんだから。直紀もわたしから聞けばいいのに……)
わたしとしたことが、緑さんに嫉妬してしまった。でも仕方ない。彼が緑さんのバイトを受けていたなんて知らなかったんだから。
━━世の中って案外狭いなぁ。
そんなことをぼんやり考えていた。
━━
パソコン部の部長、清水蒼矢先輩のアバターはデルという名前らしい。
清水先輩は一見頼りない感じだけど、実はすごい人だった。
たった一晩であの高性能のガントレットを作ってしまうんだもん。プロのクラフターというのも頷ける。
わたしは今まで沢山アイテムを見てきたけど、装飾品の特殊な効果を分析して作り替えるなんて聞いたこともなかった。そんな先輩がわたしの商品を見たいと言ってきた。
正直、恐れ多いと思う。
(先輩にがっかりされないと良いんだけど……)
不安に思いながら先輩に促されるまま商談をすることになった。
XXXXX
現在
ベリーとデルはミドリのベースルームにある工房で話をしていた。
「この前、ミドリが君にところに買いに行っただろ?」
デルさんは多分、わたしがミドリさんと知り合ったときのことを言っているのだろう。
「はい。来ましたよ」
「だよな。そこでミドリが買ったものを見せてもらったら質の高いものばかりだったからさ。ずっと他の品も見てみたかったんだ」
デルはとても楽しそうにしている。
「あ、ありがとうございます」
どうやら既に商品の質には満足してくれていたらしい。わたしとしても一安心だ。
「ベリーはどこで品物を仕入れてるんだ?」
「仕入れ先ですか? えっと……基本的にモンスターからのドロップアイテムですよ。短時間で効率的に稼ぐために、遠出して大きな公園とか森があるところによく行っています」
実際、オーグで遠出するのはそれほど難しくない。アバターで電車に乗っても料金は取られないから駅で適当な方向の電車にアバターを載せておけば時間はかかるが、簡単に長距離移動できる。しかも、一度ログインマーカーを設定しておけば、2回目以降は直接その場所にアバターを出現させることもできる。
先輩はなにか納得したように頷いている。
「そうか。公園と森か……。街中はモンスターの取り合いだから。大量の商品がどこから出てくるのか気になっていたんだ。ありがとう」
「あ! でも結構強いヤツが多いのでもし行くなら気を付けた方がいいですよ? それと、ちゃんとわたしからも買ってくださいね?」
あぶないあぶない。もし先輩が自分でアイテム集めを始めたら、大事な客を一人逃がしてしまうところだった……。
「ああ。もちろん。 じゃあ早速商品を見せてほしいな」
「わかりました。準備するのでちょっと待っててくださいね」
そう言うとわたしはいつも露店を開くときにしているように営業の準備を始めた。ただ、今回は場所が広場や道じゃなくて屋内だから、簡易的だけどね。
第13話 サイドストーリー:ベリーの商談
わたしは慣れた手つきでストレージを開いて商品や道具を置いていく。
いくつもの値札のついたトレイには装飾品が陳列され、クラフト用の部品などは小さな袋にいれてまとめ、武器や防具の名前と性能が書かれたカタログを置く。
陳列作業が終わる前からデルは興味深々といった顔で落ち着きがない。
(こういうところは子どもっぽいな)
先輩の様子を見て和んでいるうちに作業が終わった。
「はい!これで準備は終わりましたよ。ってもう見てますよね。なにか気に入ったものはありますか?」
デルは並べられたアイテムを次から次へと見ていた。
「ん? あ、あぁすまない。ちょっとはしゃぎ過ぎだよな」
照れて笑いながら頭を掻いている先輩の仕草が、なんだが可愛く思えてきた。でも顔には出さずに黙っておくことにする。
わたしの店は雑貨屋といってもオーグ内なので日用品などは無く、色んな物を集めて売っている。
例えば銃や剣などの武器防具。手榴弾やフレアガンなどの消費アイテム。クラフトに使える素材や部品等だ。
また、数は少ないが特殊な効果のある装飾品も取り扱っている。
戦闘とは関係ないものだと、伊達メガネ、髪留め、染料などのオシャレアイテム。腕時計やライター、ロープ、用紙、などの実用的なアイテムもある。
さらに、倉庫として使っている自宅には他プレイヤーから仕入れた家具類や大きなインテリア等もある。
「本当にいろんなものがあるんだな……。お、これは?」
「ああ。それはクラフト用アイテム詰め合わせセットです。頻繁に使う素材系のアイテムはそうやってまとめてあるんです」
「へぇ。中には何が入ってるんだ?」
「えっと。ネジが10個、LEDが10個、モーター1つ、回路基板が1枚。スイッチが10個、バッテリーが1つ。……これで500ゴールドです。お得ですよ」
「それで500ゴールド!? 随分安いな」
オーグ内の部品系アイテムは敵を倒せば簡単に手に入るため、現実の類似品より比較的安い。それでもわたしは敢えて値段を低めに設定している。
「ですよねー。部品はすぐにモンスターから手に入るんですけど、オシャレアイテムとか特殊な効果があるアイテムはあんまり落ちないんで、そっちは少しお高くしてあります」
「なるほど。それでこの安さかぁ」
そんなやり取りを何度かした後。デルはクラフト用のアイテムとステータス上昇効果付きの装飾品、ライターやロープなどをいくつか買ってくれた。
「良い買い物ができたよ。ありがとう」
「いえいえ。商品は売れてこそですから」
やっぱり集めた品を買ってもらえるのは嬉しい。しかも先輩に満足してもらえたようで良かった。
「そういえば普段はいつ店を出しているんだ?」
「いつ……? 特に決まってないですよ。品物が仕入れられたら不定期にやってます」
「そうか、やっぱり不定期なのか。……前にミドリと会ったという場所に何度か行ってみたんだが中々会えなくてね」
「え! っと、それはすみません」
タイミングが合わなかっただけとはいえ、わざわざ探してくれていたなんてなんだか申し訳ない。
「いや、偶然なんだから、ベリーが謝ることはないよ。今日はお得な買い物ができたし」
「それなら……良かったです」
(あとで営業日を決めておこうかな……)
オーグにはNPCショップが沢山ある。プレイヤーが営業している雑貨屋が少ないとはいえ、自分の店がそこまで好かれているとは思っていなかった。
わたしはガッツポーズした。もちろん恥ずかしいから心の中だけでね。
「ところで、話は変わるんだが……ちょっと聞きたいことがあるんだ」
デルは話していいのか迷う素振りで話しかけてくる。
「ん? なんですか?」
(聞きたいこと。 ってなんだろ?)
彼は「以前知り合いのクラフターから相談されたんだが」と前置きしてから話始めた。
「ほら、クラフターはステータスポイントの多くをクラフトに振っているだろ? それで戦闘に勝てなくて困ってるらしくて……。いろんなアイテムを知ってるベリーなら、弱いクラフターでも勝てるようになるアイテムとかを知ってるんじゃないかと思ったんだけど……。なにか心当たりとかあるかな?」
(これはムズカシイ質問だなぁ……)
弱い人を強くする。一口に強くすると言っても、強さには色々ある。それが難しさに拍車をかけている。
単純に足りない要素を補う。つまり装飾品でステータスを上昇させることもできるが、装飾品は装備できる数に限界がある。
「うーん。さすがにそんな強力なアイテムに心当たりはないですね」
「だよなー。やっぱり無いよなー。もしあったら俺が似たようなものを作れればって思ったんだけど……」
「って、あれ? そもそもクラフターが戦う必要があるんですか?」
(クラフターは先輩みたいに他のプレイヤーから依頼を受けて稼げるわけだし、一般的なゲームの生産職は戦う必要性は低いと思うんだけど……)
わたしが疑問を口にすると先輩は驚くことを言ってきた。
「あ、俺もはじめはそう思ったんだけど、その相談をしてきたヤツ曰く、最近クラフターだけを狙ったPKが横行しているらしい」
デルの顔が険しくなった。
PKとはプレイヤーキラーの略語だ。故意に他のプレイヤーに攻撃する人や行為を指す。
「なるほど。クラフターを狙ったPK……。悪質ですね」
「だろ? PK自体はゲーム内なんだから別に悪いことじゃない。むしろ楽しい部類だ。でもそれは、フェアな戦いの場合であって、今回の件はクラフターが戦闘に弱いと知ってて故意に狙っているんだよ」
それを聞いて話の全体が見えてきた。
「つまり強くなってPK達に反撃したいってことですね?」
「その通りだ」
デルは強く頷いた。
オーグはゲームであって、せっかくゲームをするなら皆が楽しい方が良いに決まってる。それに、クラフターはわたしの大事なお客になってくれる人たちでもある。
できることなら力になりたい。でも残念ながらわたしは助けになれるようなアイデアは持ち合わせていなかった。
「うーん。……今は力になれませんけど、何か助けになる情報とか良いアイデアがあったら知らせます」
「ありがとう! そうしてくれると助かる」
先輩は安堵したように笑った。
「はい! お客さんがゲームを楽しむためなら。わたしにできることなら何でも言ってくださいね!」
わたしはデルと協力の約束をした。
この出来事が巡り巡ってオーグの戦闘を劇的に変化させてしまうと知るのは、まだ先の話。
第14話 メッセンジャーの存在意義
僕はメッセンジャーとして初仕事のためにミドリさんと事務所(ベースルーム)で作戦会議をしていた。
工房の方からはベリーとデルが何か楽しそうに商品をやり取りする声が聞こえてくるが、気にせずに話を続ける。
「まず、メッセンジャーの基本から説明するわね」
「はい。お願いします」
ミドリさんはストレージから”マニュアル”と書かれた冊子を取り出すとページをめくりながら語り始めた。
「この仕事は最近出没しているアイテム転送システムを悪用する事件の被害を抑える目的で行っている。これは良いわね?」
「誰かが転送システムの記録を盗んで、受け取りに来たプレイヤーを狙い撃ちにしているってことでしたよね」
「ええ。その通りよ。だから私たちが代わりに荷物を運ぶの。……これでメッセンジャーの必要性が認知されたら、人をもっと雇って規模を大きくするつもりよ」
オーグはインターネットとは違い、プレイヤーの動きはグローバルではない。売買などで、アイテムを長距離運搬するときや、高価なアイテムの運搬だけメッセンジャーが必要なのであって、それ以外は直接プレイヤー同士が会えば済む話ではある。そのため、いきなり大規模で始めるのではなく、限定した地域で、限定した規模でメッセンジャーを周知させることが僕の役目なわけだ。
(そういえば、前に話したときにハッキングされていることを運営は対処しないって言ってたっけ……)
そのことが気になった僕は意を決してミドリさんに聞いてみることにした。
「あ、あの……。まだ運営は襲撃者の対策とかできないんですか?」
ミドリさんは困った顔をした。
「え、っと」
どうしよう。ミドリさんが困っている。
「あ、言えないなら無理しなくて大丈夫です。少し気になっただけなので」
僕は慌ててフォローを入れたが、彼女は軽く首を横に振った。
「いえ、もうリアルでも会っていることだし。できる範囲で教えるわ」
そこで言葉を切り、視線を宙に彷徨わせた。
「私、探偵をしているの」
「探偵……ですか」
言葉の意味を理解するのに数秒かかった。目を見開いて瞬きを繰り返す。
ミドリ。いや、あの大学三年生の高木緑さんが探偵? 大学に通いながら?
僕の偏見に満ちた探偵のイメージと言えば、独身の渋いおじさんが街で浮気の調査とか迷子のペット探しとかしている感じなんだけれど。
「ええ。元々実家が探偵業をやっていて、引き継いだの。それで、今回のメッセンジャーの仕事を始めたのも探偵の仕事として依頼されたからなの」
「メッセンジャーが依頼されたもの……? 誰からですか?」
「ごめんなさい。守秘義務があるから、今言えるのは依頼主がオーグの運営関係者ということと、襲撃してくる人たちの正体が分からないってことだけよ」
そこで彼女はふと思いついたように独り言をつぶやいた。
「でも……。そうね。聞いてもらった方が早く解決するかも」
「ん? 何ですか?」
「あ、いいえ。何でもないわ」
「そう、ですか」
僕には彼女のつぶやいた言葉の意味を理解できなかった。
(いつか教えてほしいな)
謎が一つ解ければ2つ謎が出てくる。僕はもう頭の中が疑問でいっぱいだった。
「ところで、さっきの続きだけど」
「あ。はい」
そういえば、今はメッセンジャーの基本について話しているんだった。
━━会話に集中しないと。
「仕事の手順は3段階よ」
彼女は指を一本立てて説明を続ける。
「1、配達依頼をゲーム外のメールで私が受け付ける。街中にメールアドレスを書いた依頼募集の貼り紙を貼るの。ゲーム外のメールなら襲撃者たちはおそらく見てないでしょうし」
彼女は指をもう一本立てた。ちょうどじゃんけんのチョキのような形になる。
「2、依頼の中からこの周辺で受諾可能な案件を選ぶ。顧客からアイテム転送端末であなた宛てにアイテムを送ってもらうの」
「え? 転送端末を使うんですか? 襲撃されるんじゃ?」
アイテム転送端末を使う代わりに僕が運ぶんじゃなかったのか。それに、噂の襲撃者からミドリさんはどうやって顧客の安全を守るのだろうか。
僕が疑問を口にすると、ミドリさんは頷きながら得意げに言った。
「そうよ。でも転送端末を使って襲われる可能性が高いのは受け取る側だけだもの。奴らは、客が転送端末を使うことを予想はできても、それがいつかは分からないでしょ?」
要するに配達依頼を出すプレイヤーは安全だが、僕は危険になるわけだ。
「つまり、僕は端末からアイテムを受け取ったら、それをすぐにストレージの保護枠に入れて逃げれば良いってことですか?」
「うん。でも、できれば攻撃される前にログアウトして場所を変えた方が良いけどね」
「なるほど」
オーグでは非戦闘状態、つまり誰も攻撃せず、誰からも攻撃されていなければ、ログアウト直後にアバターは消えるが、戦闘状態ではログアウトしても3分間はその場にアバターが残る仕組みになっている。
そのため、アイテムを受け取ってから奇襲を受ける前にログアウトできればメッセンジャーも安全に配達ができるというわけだ。
(よかった。これなら僕も安全に仕事ができそう)
彼女は指を三本立てて説明を続ける。
「3、今話したように荷物を端末で受け取ったらメールで指定された場所に届けるの。ただし、襲撃者を倒すか、逃げてからじゃないと奪われるかもしれないからその点は気を付けてね」
僕は大きく頷いた。
「わかりました」
「あと、私の依頼主がね。メッセンジャーを普及させる前に、襲撃者の正体を探って欲しいと言ってきたの」
(依頼主が……正体を探る?)
これは僕の推測だけれど、ミドリさんの依頼主はメッセンジャーを普及させることで、これ以上被害が大きくならないようにし、不正アクセス問題の解決のための時間稼ぎをしているのだと思う。
━━つまり、
「それって……オーグにハッキングしている犯人を見つけろってことですか? 荷運びとは別に?」
おそらく、メッセンジャーよりも犯人捜しのほうが仕事の優先度は高そうだ。犯人が見つかってしまえば襲撃はできなくなるから問題は根本的に解決できる。
ミドリさんは僕の言葉を聞くや、感心するような声で言った。
「ええ。その通りよ。理解が早くて助かるわ」
そこで言葉を切り、僕を見つめて続けた。
「……それじゃあ、具体的に初仕事について説明するわね」
「はい。お願いします!」