拡張現実によって現実世界とデジタル世界が重なって存在する近未来の街を舞台にしたSF小説を書きました。
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第1話 存在が拡張されるとき
人は同時に二か所に存在することはできない。肉体が一つしかないのだからそれは当たり前のことだった。
しかし、複合現実テクノロジーが発展し、人々は仮想体「アバター」を操ることで幽体離脱のように肉体に縛られない存在となれる技術を手に入れていた。
MRMMO(複合現実多人数)対戦ゲーム「オーグメンテッドビーイング」は今や爆発的な人気を誇っている。
平凡な大学生である「月村直紀(つきむらなおき)」もまた、そのゲームの熱心なプレイヤーだった。
大学の講義が終わり帰宅した彼は、既に日が沈み暗くなった窓の外を眺める。
「オーグのプレイヤーも増える頃か…観戦に行こうかな」
オーグというのはオーグメンテッドビーイングの略称だ。
眼鏡型の拡張現実装置「ARグラス」をかけてグローブ型コントローラーを手に取る。
自室の隅に設けられた仮想現実内歩行装置に乗る。これは自身の肉体はその場から動かずにデジタル世界で自由に歩くために必要なものだ。
オーグを起動した彼の目の前に灰色の衣装を纏った細身の男が音もなく現れる。しかしこれは、現実にそこに誰かがいるわけではない。ARグラスによって視界に投影されたデジタル世界の住人だ。そしてこの細身の男こそが、直紀がデジタル世界を生きるためのアバターなのだ。
VRモードを起動する。VRモードとは、普段は周囲の景色に追加情報を重ねて表示するだけのARグラスだが、周囲の景色を遮断して視界一面に3D映像を写す(つまり、VRゴーグルにする)機能のことだ。
次の瞬間、直紀は自分がついさっきまで眺めていた灰色の細身の男になっていた。
部屋を見回す。すると、部屋の隅にある仮想現実内歩行装置に乗り、ARグラスを被って周りを眺める「月村直紀(つきむらなおき)」がいた。
「何回やっても不思議な感じだ」
そこはもう現実ではない。オーグメンテッドビーイングが作りだす、現実と重なって存在するデジタル世界だった。
アバターは窓を開けて外を観察する。もちろん、現実の窓は依然として閉まっている。
彼は周囲を確認した後、窓枠に足をかけ暗闇に身を躍らせた。
一年前のある日。
僕「月村直紀」はオーグがリリースされるやすぐにプレイし、その虜になった。
理由は二つある。
1つ目はその手軽さにあると思う。オーグは、ARグラスとゲームパッド(一般的なゲームコントローラー)があれば、例え仮想現実内歩行装置などのVRデバイスが無くても利用できる。もちろん、実際に体を動かすわけではないから没入感は減るんだけれど、家庭用ゲーム機のように操作できる。
第二に、アバターを操作していなくてもオーグを起動すれば、デジタル世界を見ることができる。つまり、他のプレイヤーとの交流や、戦闘の観戦ができる。
オーグのゲームシステムは、コンピュータが操るモンスターや他のプレイヤーを倒せばポイントが得られ、そのポイントを消費してアバターを強化、または、アイテムを購入/製作する仕組みだ。
でも、オーグはもはやただのゲームではなくなってきてる。戦闘に特化したアイテムがある一方で、現実とほぼ同じクオリティの世界であるために、この仮想空間を利用している個人、団体、企業も多い。
あらゆる人間がこのデジタル世界を利用している。
だけど、もし戦闘に負けたら、ペナルティとして一定量のゲーム内通貨と、武器などの戦闘用アイテムすべてを失う。プレイヤーに負けた場合は、失ったアイテムは勝利者の戦利品となる。
ちなみに、オーグには課金システムもあり、ゲーム内通貨を現金に換金することもできる。
年に数回開かれる大会では賞金がでる為、これで稼ぎを上げている人もいるんだとか。
でも、残念なことに僕は弱い。戦闘のセンスが無さ過ぎた…。
だから観察することを選んだ。現実をそっくり写したデジタル世界でド派手に撃ったり殴ったり切ったりする戦いを見るとき、スリルと興奮を感じるから。
それから僕はアバターの衣装を灰色にした。
デジタル世界に出現するモンスターやプレイヤー対プレイヤーの戦いを観察するには、目立たない方がいいんだ。なぜなら、他のプレイヤーに見つかると対戦を挑まれるかもしれないから。
だから他の好戦的なプレイヤーから逃げ隠れしつつ、デジタル世界を走り回って観察し続けた。
でも、自分から戦うことができなくても、僕はこの世界が好きだ。
「つまらない現実を愉快な世界が飲み込んでくれるから」
現在
僕はアバターで自室の窓から飛び出た後、派手で見応えのある戦闘を求めて街をさまよっていた。
「何かおもしろいことはないかなー」
周りには少なからずプレイヤーの姿があった。もちろん、プレイヤーの誰もが好戦的というわけではない。僕のように観戦を楽しむ者や、他のプレイヤー(アバターではなく現実に街にいる人)と他愛ない交流を楽しむ者、ショップでアイテムを買っている者、売っている者…実に様々な人がいる。
そんな雑踏に紛れて街を歩いていく。
歩き続けて人気が少なくなったころ、路上の一角に貼り紙があることに気付いた。
「なんだこれ…デジタル世界の紙?」
それは現実の物体ではなく、デジタル世界にのみ存在しているものだった。
(なんて書いてあるんだろ?)
その貼り紙には━
「完全歩合制、メッセンジャー募集中! 逃げ足の速い人歓迎!」
どうやらバイト募集の告知のようだ。
「どうみても怪しい…」
怪しくないわけがなかった。現実世界ではなくデジタル世界で、しかもメールや掲示板ではなく路上で貼り紙の告知…。現実世界で貼り紙を貼ればデジタル世界でも表示されるにも関わらず、敢えてデジタル世界だけに貼る。しかも最後の一言が謎だ。
(でも、大学生になってからというもの時間を持て余しているし、興味あるな)
おもしろそうなことを探していたこともあって…。
「金が稼げるなら…」
僕は求人主に連絡することにした。
この求人が、僕の人生の大きな転機になろうとは、このときはまだ知る由もなかった。
僕が見つけた貼り紙の隅にはこんなことが書かれていた。
「応募するならこの貼り紙を剥がして捨てておいてください」
奇妙だ。この求人主は、自分で告知しておきながら人が集まることを避けているらしい。
謎は増えるばかりだ。
指示通りに、とりあえず貼り紙は剥がしてから、覚悟を決めて記載されている連絡先にメールを送ってみる。文面は迷ったが、個人情報をできるだけ伏せて書いてみた。
「件名:バイトに応募します
メッセンジャー募集の貼り紙を見ました。
失礼ですが、念のため個人情報は伏せさせていただきます。
僕を採用する気があるなら返信よろしくお願いいたします。」
我ながら失礼な文章だと思う。でもしかたない。こんな怪しい求人主に自分のメールアドレスを教えるのも十分危険なんだから…。
「今日はこの辺にしとこう」
メールの返信がすぐに来るとは思えない。僕はオーグからログアウトした。
翌日
昨日と同じようにオーグにログインした僕は驚いた。
「あ…本当に返信がきてる」
急いで内容を確認した。
「件名:Re:バイトに応募します
応募ありがとうございます。
個人情報を伏せたのは良い判断ですね。その慎重さと度胸はこの仕事に向いていると思います。
詳細はアバターで会って話したいので希望の場所と日時を教えてください。」
(以外にも人間味のある内容だな…)
もっと素っ気ない文章が返ってくるもんだと思っていた僕は驚いた。しかも、個人情報を伏せたのに相手は気にしていないどころか、肯定的なようだ。
とりあえず希望場所と日時を送ってみたところ…返信はすぐに来た。
その後、何度か予定を調整するやり取りをして後日会うことになった。
待ち合わせ当日
僕は待ち合わせ場所に家から少し離れた公園を選んだ。
自宅でオーグを起動してアバターを走らせること数分、目的の公園にやってきた。アバターの身体能力は現実の肉体より優れている。僕のアバターは逃げ隠れのために移動能力を強化しているからあっという間だった。
この公園は何の変哲もないただの公園だけど、周りに木が植えられているから周囲の住宅街から狙撃するのは難しい。
(もうすぐ約束の時刻だ…)
すぐに待ち人は見つかった。メールで確認した外見通りのアバターが大きな木の下に佇んでいる。周りに他のアバターは見当たらない。
(もし待ち合わせが罠で、この求人が新手のポイント稼ぎだったとしたら…僕は瞬殺される)
念には念を入れて周囲の安全を確認していく。
どうやら近くに攻撃してきそうなプレイヤーはいないようだ。
僕は求人主と思われるアバターに近寄り、声をかけた。
「あなたがメッセンジャーのバイトを募集した方ですか?」
求人主は若い女性の姿をしていた。
「ええ、そうです…あなたが応募してくれた人ですか」
声も若い女性のそれだった。オーグで会話する際、音声はARグラスに内蔵されたマイクに拾われてアバターから発信される。つまり、変声器でも使っていない限り、性別は現実と同じようだ。
少し苦笑交じりに彼女は言った。
「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ…それとも警戒しているんですか?」
どうやら心を読まれたらしい。
「あんな怪しい求人を出すのは一体どんな人なんだろうと思っただけです…」
「すみません。大っぴらに求人できない理由が有りまして…。でも怪しいものではありませんよ」
(怪しさ満点だけど、ここまできて引き下がるわけにはいかないな…)
それに、求人主は平静を装っているけれど、その目はどこか必死な感じだった。
(とりあえず話しを聞いてみるくらいは良いかもしれない…バイトもやってみたいし)
「わかりました。面接は…どこか落ち着いて話せるところでしますか?」
「それなら私の事務所にしませんか。ここからそれほど遠くありませんし」
それから求人主に連れられて歩くこと数分。僕たちは路地裏にある、一つの扉の前に到着した。
「この扉…現実には存在しないものですか?」
デジタル世界では通常、現実が薄く表示されていて、アバターでは現実の物体は基本的に動かせないようになっている。しかし、目の前の扉は現実の投影には存在しないし、どうやらアバターでも動かせるようだ。
「ええ、そうですよ。ショップで1000ポイントする「ベースルームドア」というアイテムなんです」
(ベースルームドア…確かにそんなものがショップにあった気がする)
1000ポイントなんてそう簡単に獲得できるものではない。彼女は戦闘に物凄く強いのか、もしくはリアルマネーをつぎ込んだのだろうか。
彼女が説明を続ける。
「このアイテムは一定の大きさの平たい壁に設置して使うんです。で、設置するとそのドアから「ベースルーム」という空間に入れるようになります。ベースルームは現実の空間から独立しているので、実際にはこの建物には存在しない場所なんですよ。まぁ、一度ドアを設置すると再設置できなくなるんですけどね…」
「へぇ…そんなアイテムがあったんですか」
どこか誇らしげに説明する彼女を見て、僕は少し警戒を緩めた。
(この人…案外普通の人かも…)
「ようこそ。私の事務所へ」
彼女がドアを開けて中に入っていく。
「お…お邪魔します」
部屋の中はそこそこ広い。真ん中に来客用のソファと机があり、その右側には執務机がある。一方、入って左側手前には工房だろうか…。アイテム作成に必要なものが揃えられていた。さらに左奥にはいくつも棚が並んでいて、まるで倉庫のようになっている。
「あれ…窓がある? ベースルームは現実とは独立した空間なんじゃ?」
「ふふ。すごいでしょう。ベースルームは色々カスタマイズできるのよ」
「じゃあこれは現実の太陽を投影したものじゃなくて窓を再現した作りものってことなんですか…」
「ええ、そうよ。だから、その窓から外にでることはできないわ。ここを出入りするにはあのドアを使うしかないの」
(へぇ…オーグにこんな空間があったなんて。僕もポイントを稼げていればなぁ…)
戦いに勝てないからポイントを稼げていない。必然的にショップで見るものは安物の装備くらいだった。
ゲーム内通貨の「ゴールド(G)」は1000ゴールドで1ポイントと交換できる。ポイントはアバターのステータスを強化できるもので、モンスターを一定数倒した報酬としても獲得できる。リアルマネー1円で1ゴールドだから、1000ゴールドは1000円。1000ポイントは100万ゴールド。つまり、100万円課金すれば、一回も戦闘を行わずにベースルームドアが買える計算だ。
「課金でも無理かぁ…。モンスターをコツコツ倒せばいつか買えるかな…」
弱いモンスターは一匹倒して10ゴールド。時々アイテムも戦利品として獲得できる。
「ベースルームドアが欲しいの?あなたも物好きな人ね。これ持ってる私が言うのもアレだけど、普通のプレイヤーなら自分の家で事足りるでしょう?」
そのとおりだ。オーグでは基本的に個人の建物には入れない。例外なのは公共エリアと、自宅の中でオーグを起動した場合だ。
建物内でオーグを起動した場合、内側から窓やドアを開けることはできても外からは開かない。プライバシーの問題があるからだ。そのため、自宅を倉庫代わりに使っているプレイヤーは少なくない。
「そうなんですけど…面白いじゃないですか。空間が拡張されてるみたいで」
「まぁ、分からなくもないかな。私は仕事の為に買ったんだけどね」
彼女は何か思い出したようにこちらを見た。
「そんなことより、私の事務所の来たのは面接の為なんでしょう?とりあえず、そこに座りましょうか」
そう言って彼女は部屋の真ん中にあるソファに座る。僕も机を挟んで反対側にあるソファに座った。
「まずは自己紹介ね…。私は「ミドリ」よ。好きに呼んでくれて構わないわ」
「僕は「ダートム」です」
「ダートム?変わった名前ね」
「ドイツ語で「日付」って意味です」
僕は名前に「月」や「紀」など暦に関する漢字が使われているから、自分のアバターには暦から連想して日付という意味の名前を付けた。音の響きが気に入っている
「ふーん…。名前はわかったわ。じゃあ次、このバイトに応募した理由は?」
「何か面白いことはないかと街を散歩してたところに求人の貼り紙を見つけたんです。それで、好奇心を抑えきれず思わず連絡しました。…金が稼げるなら何でもよかったんですけどね」
「まぁそうよね…あんな怪しい貼り紙に連絡する理由なんて…。でも、正直な回答は嫌いじゃないわ」
(公園で、大っぴらにできない理由があるとか言ってたな…。どんな事情なんだろう)
「ところで…、もし答えたくないなら無理に言わなくてもいいんだけど、あなた、普段の職業は?」
「仕事はしてません。大学生です」
「あら、そうなの。私と同じね。教えてくれてありがとう」
(大学生だったのか…。僕と年も近いのかも…)
「あの、仕事の内容は具体的にどんなことをするんですか?」
「アイテム取引の為に荷物を届けて欲しいの。簡単に言えば自転車便のようなものね。私は「メッセンジャー」と呼んでいるわ。依頼された荷物を、指定された時間、指定された場所に届けるの」
「まさか、違法薬物とかじゃないですよね…?」
「いいえ、大丈夫よ。実際に活動するのはこのデジタル世界なんだから。荷物は武器とかのアイテムが大半よ」
(なんだ…普通に安全みたいだな)
僕は安堵した。
「あれ…でも変だな。アイテムの取引ならゲーム内のアイテム転送機能を使えばすぐに運べるんじゃ?」
オーグにはアイテム転送機能がある。街の数か所に転送端末が設置されていて、端末間でアイテムを転送できるものだ。送信者が、受け取るプレイヤーを指定して送りたいアイテムを端末に備え付けられたボックスに入れる。受け取るプレイヤーが転送先の端末に行くと転送されたアイテムが出てくる仕組みになっている。
彼女はなにか呟いている。
「それは…。そうよね。説明しなきゃいけないわよね…」
彼女は神妙な顔で僕を見た。
「最近オーグで、転送されたアイテムを受け取った直後に何者かに襲撃されたっていう噂…聞いたことない?」
「あ…聞いたことあります。アイテムを受け取った直後に瞬殺されるって話。マナー違反もいいところですよね」
「ええ。でも、マナー違反どころの話ではないの」
「マナー違反どころではない?どういうことですか?」
「多分、転送端末を使った記録を誰かが不正に利用しているんだと思う。」
「それって、つまりオーグのシステムがハッキングされてるとか…?」
「うん。だから私はメッセンジャーを広めたいの。直接プレイヤーが移動してアイテムを届ければ端末で奇襲されることもないし、メッセンジャー本人は手数料を依頼人から貰えるから多少稼げるしね」
「ちょっ、ちょっと待ってください…。システムがハッキングされてるならそのうち運営が解決するんじゃ?」
「それは…。ごめんなさい。今は「運営は問題を解決しない」としか言えないわ」
(!…なぜそんなことが分かるんだろう?)
「まぁ、とりあえず…メッセンジャーが必要な理由はわかりました」
いろいろと分からないことだらけだった。でも彼女は事実を隠しこそすれ、嘘をついている気配はない。
「でも…」
彼女が口ごもった。嫌な予感がした。
「荷物を運ぶときなんだけど…。襲撃から守りながら逃げてほしいの」
「え!?」
(やっぱりこのバイト何かおかしいのか!)
「実は、前にもメッセンジャーに応募してくれた人がいたんだけど…。運んでる最中に、まるで狙ったように襲撃されて…。そんなことが何回もあって、前の人はすぐにやめちゃったのよ」
「それって…メッセンジャーに依頼したことが襲撃した人にバレてたってこと…?」
「たぶん。そういうことになるかな…」
(そうか…システムにハッキングした人は転送端末の記録以外の情報も見れるのかも…)
「なるほど。それで貼り紙に「逃げ足の速い人歓迎!」って書いたんですね」
「そのとおりよ。…どうする?あなたがバイトはやっぱりやめたいって言うなら…止めはしないわ」
(どうしよう…。でも逃げ足なら自身あるし…。それに、例え襲撃されて倒されても失うアイテム全然もってないし、彼女か隠していることも気になる)
「僕、このバイトやりたいです」
「!…ありがとう」
そういう彼女は、とても嬉しそうに見えた。
「でも、荷物運びをメッセンジャーに依頼する人なんていますかね?自分が直接狙われないとしても、依頼したメッセンジャーが襲撃されたんじゃ結局取られちゃうかもしれないし…」
「その心配はないわ。ストレージのアイテム保護枠に入れておけばいいの」
オーグにはストレージ(貯蔵庫)に保護枠が2つある。保護枠とは、アバターが倒されても自分のアイテムを戦利品として奪われないように設定できる機能だ。普通のプレイヤーはこの枠に自分が最も使うであろう武器や防具を設定しておく。
「確かに、保護枠に入れれば荷物は守れますね…。でもそれじゃあ自分のアイテムは一つしか守れない…」
「それは仕方ないの。メッセンジャーは大事な武器を奪われるかもしれないけど、そのリスクと保証があるから依頼主に手数料を多少高くしても払ってもらえるし」
「なるほど。それなら依頼は来るかもしれませんね」
「でも、本格的に採用するかはあなたの実力によるわね。ステータスを教えてくれる?」
「わかりました」
僕はオーグのメニューを開いて、ミドリさんにステータスを見せた。
<名前>「ダートム」
<レベル> :10
<EXP>:12/100
<HP> :100/100
<ステータス>
STR:1
VIT:1
DEX:2
AGI:4
CR:2
<装備>
武器
右手:ノーマルナイフ
左手:ノーマルハンドガン
防具
頭:なし
胴体:ノーマルコート(灰色)
手:ノーマルグローブ(灰色)
足:ノーマルスラックス(濃紺色)
装飾品:
1:重量軽減ベルト
2:静寂の指輪
保護枠
1:重量軽減ベルト
2:静寂の指輪
レベルは初期値が5だ。5種類のステータスそれぞれに1が割り当てられた状態で始まる。ステータスに1ポイント振り分けるたびにレベルが1上がる。
EXPは経験値だ。モンスターもしくはプレイヤーを100体倒すと1ポイント獲得できる。つまり、あと88体倒すとレベルが上げられる。
HPは体力(ヒットポイント)、STRは筋力(ストレングス)、VITは生命力(バイタリティ)、DEXは器用さ(デクステリティ)、AGIは敏捷性(アジリティ)、CRはアイテム製作(クラフト)のことを表している。
「ん…?レベルは案外低いね。オーグは初めたばかり?」
「いえ…、リリース直後からやってます…。でも戦いに勝てなくて、ずっと観戦ばかりしてました」
「なるほど…」
ミドリは暗い顔をした。
(やっぱり戦闘で勝てないとダメなのかな…)
僕はオーグがリリースされてからの一年間、レベルをたった5上げるのがやっとだった。武器、装備は店売りの安いものを買って色を変えただけ。お世辞にも強いとは言えない。
「ふむふむ。武器と防具は店売りのものか…。でも装飾品は、なかなか面白いものを付けてるね」
そう、装飾品だけは良いものを付けている。重量軽減ベルトはその名の通り、アバターが軽くなるベルトだ。これを付けておくと通常より高くジャンプできるし動きも軽やかになる。ただでさえ装備している防具が布の服ばかりなので、アバターはとても軽い。もう一つは静寂の指輪だ。この指輪は自分から発生する足音、物音の音量を小さくしてくれる。この二つの装飾品はどちらもモンスターからの戦利品で、少しレアなものだ。
その効果を確認した彼女は、さっきと打って変わって明るい顔をした。
「へぇ…!さっき観戦ばかりしてたって言ってたけど、この装飾品は役に立ったでしょ!襲撃者から逃げ隠れしながら走るのにぴったりね。この二つはメッセンジャーでもきっと役に立つと思う!」
彼女は興奮気味にそうまくし立てた。よほどこの装飾品が気に入ったらしい。
「じゃあ採用ですか…?」
「うん!これからよろしく!」
「こ…こちらこそよろしくお願いします」
これから面白くなりそうだ。それに、ミドリさんはなぜか放っておけない気がした。
第2話 戦えない理由
無事にメッセンジャーに採用された僕だったが、待っていたのは荷運びの仕事ではなく作戦会議だった。
「あなた、初仕事の前にもっと強くならないとダメね」
「うぅ! …でも襲撃者から隠れる自信ならありますよ」
「隠れるといっても簡単にはいかないと思うわ。前のメッセンジャーが繰り返し襲われたと言ったでしょう?奴らはプレイヤー狩りのプロみたいなものよ」
「そんなに強いんですか…」
「うん。それに、複数人で攻撃してくるはず。だから、まずはあなたの実力を見せてほしいの」
そしてミドリは少し俯いてから呟いた。
「それに…もしあなたがやめてしまったら…次は応募が来ないかもしれないし」
「今は、やめる気はありません。 とりあえずモンスターでも探してみますか」
(ミドリさんはやはり何か隠している。オーグの運営のハッキング問題も知っていたし、一体どんな事情があるのだろうか?)
僕らは腕試しの為にモンスターを狩りにいくことにした。
オーグのモンスターは街の至る所に出現する。しかし、プレイヤーが多いので出現した片っ端から倒されてしまうためあまり姿を見ることはない。
また、一口にモンスターといっても様々な種類がいる。ファンタジーに出てくるゴブリンやオークがいる一方で、ロボットのようなものもいる。上空には鳥型モンスターやドローンなども出現して、ジャンルは様々だ。
事務所を出て人が少なそうな道を選びながら歩くこと数分、閑静な住宅地でやっとモンスターを発見した。
「あれは…ロボですね」
無機質な白い装甲を付けた人型ロボットがこちらに背を向けて歩いている。
オーグでは、敵を攻撃するか攻撃されるまでHPと名前を見ることはできない。
「名前は確か… 【Wandering Android】だったかしら」
「ワンダリングアンドロイド…意味は「徘徊するアンドロイド」。そのまんまの名前ですね」
話している間にもその名前通り、アンドロイドはトボトボ歩いて遠ざかっていく。
「そんなに強くない相手だと思うから、ちょっと戦ってみてくれる?」
「…わかりました」
(どうしよう…。ロボットは装甲が固いから安物のナイフよりハンドガンを使うか…。でも、銃弾はそんなに買っていないから無駄使いできないし…)
そう、僕(ダートム)は筋力をほとんど上げていない。接近戦は特に苦手なのでいつもハンドガンを数発撃てば勝てるような、レベルの低いモンスターとばかり戦ってきた。
(というか…戦闘は全力で避けてきたんだよな。 でもこれは腕試し。しっかり全力をだして実力を把握してもらわないと)
意を決して深呼吸する。
(気付かれる前に倒す!)
その瞬間、僕は現実の自分を忘れてアバターと一つになっていた。
近くにあった3階建ての住宅に向かって、足に力を込めて思い切りジャンプする。
(今の僕は自由だ)
現実のしがらみや圧し掛かる重力、その全てから解き放たれてどこまでも行ける。そう思った。
一瞬の浮遊感の後、屋上に音もなく着地した。
ダートムにとって重量軽減ベルトの効果はキャラクターのアイデンティティそのものと言っても過言ではない。
建物の屋上伝いに、走って跳んで繰り返すこと三回。アンドロイドに一番近い建物の屋上に到達した。
(敵にはまだ気づかれていない)
ナイフを持った右手に力がこもる。現実では触覚再現グローブ越しに硬質な感覚が伝わってくる。
自分と敵の距離を確認し、ナイフを逆手で構えた。
(ここから敵に向かって跳んで、落下の勢いのままナイフを突き刺させば…装甲を貫通できるはず!)
ロボは大抵、装甲が固いだけで、その下の金属フレームに攻撃すれば簡単に倒せる。
僕は敵の真上に向かって大きくジャンプした。
アンドロイドは地面に移った僕の影に気付いて振り仰ぐが、もう遅い。
一瞬で距離を詰めた僕は、落下の衝撃を全てアンドロイドに叩きこむ勢いでナイフを突きたてた。
アンドロイドの左肩にダメージエフェクトが散り、ナイフが金属フレームを叩き割った感触がグローブ越しに伝わってくる。
攻撃認定されて僕の視界に敵のHPと名前が表示される。
急激に減っていく敵の体力を見つめた。
僕は勝利を確信した。が、詰めが甘かった。
そして、気づいた時には吹き飛ばされていた。
HPが僅かに残ったアンドロイドが右ストレートを放ったのだ。
「くっ!」
体が軽いとノックバックが大きくなる。
一発殴られただけで10メートル飛ばされた。
もし重量軽減ベルトが無ければ、落下エネルギーはもっと強くなっていたはずだ。そうすれば敵を一撃で仕留められたに違いない。このベルトはメリットばかりではない。
「まずい!」
起き上がったアンドロイドの右手が黄色く発光している。腕に内蔵されたレーザーキャノンを撃つ気らしい。
動かなければ、やられる。レーザーが直撃すれば僕の低いHPは簡単に消し飛ぶだろう。
頭では理解している。だけど、動けなかった。
「いつもこうだ…。肝心なときに、動けない」
弱々しくそう吐き捨てた。
目をつぶって死を待つ。
爆発音が聞こえた。
「あれ…? 死んでない…?」
僕はまだ生きていた。HPはさっき殴られたっきり減っていない。
目を開けて辺りを見ると、爆発したアンドロイドの残骸が破砕エフェクトを振りまいて消滅するところだった。
「大丈夫? 戦闘で勝てないとは聞いてたけど…これはキビシイわね…」
ミドリさんがアサルトライフルを構えていた。どうやらアンドロイドを撃ってくれたらしい。
「す、すみません」
「惜しかったわね。奇襲するところまでは上手くいってたのに…」
僕は俯いた。
「いつもこうなんです。肝心なときに動けなくなって…。 頭では理解しているんですけど、体がゆうことを聞かなくて」
「なるほど…。 だいたい実力はわかったわ。 とりあえず事務所に戻りましょう」
「はい」
事務所に戻ってきた僕たちは、先ほどの腕試しを振り返っていた。
「最初の立ち回りは良かったわよ。筋力が足りないから落下エネルギーを使ってナイフで装甲を貫通させたんでしょ?」
「はい。その通りです」
「たしか、ハンドガンを持ってたわよね?それを使わなかったのは?」
「今、金欠なんです。ゴールドもリアルマネーもなくて。だから弾も買えないので使いませんでした」
「なるほど。ふむ…。 状況判断はできているし、運動神経もそれほど悪くない…。 やっぱり問題なのは緊張で動けなくなることね」
「はい…」
「大丈夫よ。そんなに落ち込まないで! この手の実際に体を動かすゲームだとよくあることだから」
「そうですよね…ありがとうございます」
「それに。オーグはアバターのレベルが低くても装備アイテムによって強くできるから、まだまだ強くなれるわ」
彼女が僕を励ましてくれている。素直にうれしかった。
(…やっぱり雇うのやめるとか言わないのか…良かったぁ)
なぜかこのバイトに執着している自分がいることに気付いた。いつの間にか、すっかり彼女への警戒心は無くなっていた。
「なにか策を考えておくから、後日改めて作戦を練りましょう。 それと、ログインマーカーをこのベースルームに設定しておいてね」
「あぁ…はい。わかりました。次回はここにアバターを出現させますね」
ログインマーカーとは、オーグにログインした時にアバターが出現する位置を固定できる仕組みのことだ。通常、オーグにログイン(起動)するとARグラスの目の前にアバターが出現するが、ログインマーカーを設置していると、目の前とマーカーのどちらにアバターを出現させるか選べるようになる。ただし、マーカーは一箇所しか設置できない上に、あらかじめアバターが直接現地に行って設置しておく必要がある。
「次回はいつにしますか?」
「できるだけ早いほうがいいわね…。今日は木曜だから…。明後日は?」
(土曜日に大学の講義はない…)
「大丈夫ですよ」
「じゃあ土曜日に決まりね。集合時間は後でメールするわね。っと。そうだった。今後はオーグのゲーム内メールは使わずにARグラスのアプリの方で連絡しましょう」
「?…なぜですか?」
「ほら…。オーグのシステムがハッキングされているなら、どこから情報が漏れるか分からないし…」
「あぁなるほど。 分かりました」
僕たちは連絡先を交換した。
「それじゃあ、また土曜日に」
「ええ。今日はお疲れ様」
「はい。お疲れ様です」
僕はオーグからログアウトした。
第3話 友人のすすめ
アンドロイドとの腕試しをした翌日。
僕は大学で講義を受けていた。
窓から春の陽気が差し込み、涼やかな風が構内を通り過ぎていく。
「ふぁ~……。 眠い……」
オーグを使えば実際に大学に通わずともアバターで行けるのだが、最新技術を使っているオーグとはいえゲームなことに変わりはない。そのゲームを大学は受け入れてくれなかった。だからアバターで授業を受けても出席扱いにはならない。
(でも、もしアバターで授業を受けられてもプレイヤーが集まれば戦闘が起きるだろうな)
そんなくだらないことを考えているうちに時間は過ぎ、昼休憩の時間になってしまった。
ちなみに今はARグラスは付けていないしオーグも起動していない。ARグラスは単体ではCPUの処理性能はさほど高くないため、オーグなどの処理が大きいソフトウェアはスマホとワイヤレス接続して使う。
まだまだARグラスは発展途上の技術なのだ。
学食の隅で一人昼食を食べていると、不意に女性に声をかけられた。
「お! 直紀じゃん!」
「! なんだ……黒江か」
声をかけてきたのは「黒江南(くろえみなみ)」だ。
それほど親しいわけでもないが、同じ高校出身ということもあり、最近よく話すようになった。快活な性格をしているので、接してて気が楽だ。
彼女は無造作に向かいの席に座ると、手にもっていたビニール袋からサンドイッチを取り出した。包装を開けて大口でかぶりつき美味そうに食べ始める。
「……なにかいいことでもあったの?」
「わかる? いやー今日は午後の講義なくってさー! 直紀は?」
「僕もないよ」
「そっか! ちょうどいいや。 良さそうなサークル見つけたんだけど直紀も入らない?」
この4月、僕は大学生になった。入学してからというもの、サークルには入らずにひたすらオーグで遊んでいる。
「サークルかぁ……。楽なやつなら入ってもいいかもな。 どんなサークルなの?」
「パソコン部」
「パソコン? 黒江ってパソコンに興味あったの?」
「パソコン自体にはあまり興味ないんだけど……」
そこで声を潜めて。
「ここの副部長、オーグで素材を買い取ってくれるんだよ……。直紀もオーグやってるんでしょ?」
黒江は以前、自分はオーグで雑貨屋をしていると言っていた。露天商をしていて金払いの良い客と仲良くなったとかなんとか言っていた記憶がある。
(今まで黒江とはあまりオーグについて話したことが無かったな……)
「まぁ、やってるけど。……ほんとに?」
「ほんとほんと。 実は副部長とオーグ内で知り合ってさー。私の客なんだよ」
「客? あ……前に話してた露天商の客か」
「直紀もオーグプレイヤーなら気になるでしょ?」
「うん……そうだね。気になる。僕も入ってみようかな」
「そう来なくっちゃ! 講義ないなら食べ終わったら部室行ってみよ!」
「ああ。そうだね」
(黒江はテンション高いなぁ……。 っていうかひょっとしてヘビーゲーマー……?)
第4話 雑貨屋の人脈
昼食を食べ終わった僕と黒江はARグラスを使ってネットで調べものをしていた。
大学のホームページからサークル紹介を見る。
「えーと……。パソコン部の部室はどこだ……?」
「あ! あったよ直紀!」
「ん? どこって書いてある?」
「部室棟の102号室だってさ」
「じゃあ早速いってみよう。黒江の客っていう副部長さんがいればいいけど……」
部室棟はキャンパスのある敷地から出て道路を挟んだ先にある。
「ここが部室棟……?」
隣に立っている黒江がしかめっ面で呟いた。それもそのはず、ものすごく古そうな二階建てアパートのような建物なのだ。一階と二階にそれぞれ4部屋で計8部屋ある。
「と、とりあえず102号室に行ってみよう」
「そ、そうね……」
102号室はすぐに見つかった。ドアについたプレートには「102 パソコン部」と黒インクで書いてある。
黒江が恐る恐るドアをノックした。
コンコンッ
「はーい。カギは開いてるのでどうぞー」
返事はすぐに来た。
黒江を先頭に部室に入る。
「あれ……。意外と綺麗」
驚いた。
部屋の中は外見からは考えられないほどきれいになっていた。リフォームでもしたのだろうか。
ドアから入って左側には棚がある。その棚には紙袋や段ボールなどが敷き詰められてあるが、隙間から棚の奥が見えた。どうやら机にパソコンとモニターが載っているようだ。作業空間を棚で仕切っているのだろう。
左奥には壁に沿ってソファが二つ、L字型になるように置かれている。その前に背の低いテーブルがある。
入って右はすぐに壁になっているが、壁に沿って小さな冷蔵庫がある。そのとなりには机に載ったテレビモニターがあった。ちょうど左奥のソファから見える位置だ。右奥には机と椅子。これも作業用だろう。
ソファに座っていた男と目が合った。細身で肌が青白く、顔は比較的イケメンな感じだ。
部室内に他の人はいなかった。
「パソコン部になにか用?……ひょっとして入部希望かい?」
黒江が応じた。
「あ、はい。私たちパソコン部に入部希望です」
「へぇ……入部希望者なんて久しぶりだな。しかも二人も」
なにか信じられないようなものを見る目で僕たちを見ている。
「あの……。何か?」
「いや、ごめん。あまりに珍しかったもんでつい。……俺は3年の清水蒼矢(しみず そうや)だ」
「私は1年の黒江南です。こっちは……」
「同じく1年の月村直紀です」
「黒江さんと月村さんね。二人ともよろしく」
僕たちは清水先輩に促されるままL字型ソファに座ることにした。
黒江が部屋を見渡しながら聞く。
「あの……。3年の高木先輩って知ってますか?」
「!……君たちは高木の知り合い?彼女はこの部の副部長だよ」
「あ、まぁ、現実では会ったことはないんですけど、オーグの中で知り合って、そしたら偶然同じ大学だとわかって仲良くなったんです。この部にいると聞いたので」
清水は得心したようで頷いた。
「ということは、黒江さんはあの雑貨屋の人か!」
「私を知ってるんですか!?」
「ああ、実は俺もオーグをプレイしていてね。高木が集めた素材でアイテムを作っているんだよ。同じ大学に雑貨屋をしてる人がいたとか、彼女が珍しくはしゃいでたから覚えている」
「そうだったんですね」
「そうだ! 豊富な品揃えがあると聞いてるよ。あとで是非見せてくれ」
そこで僕の存在を思い出したのか、咳払いをするとこちらに向き直った。
「そっちの……えーと月村君も高木の知り合い?」
「あ、いえ。僕はただ黒江に誘われただけです」
「なんだ、そうなのか」
実際、僕は二人の会話についていくのがやっとだった。
「とりあえず、パソコン部の説明でもしようか。といっても、今部員は俺と高木の二人しかいないからなぁ……」
「?……活動してないんですか?」
「前は部員がもっと沢山いて、パソコンを自作したりプログラムを組んだりしてたんだが、みんなやる気が無くてね……。最近は俺の作業部屋兼、高木の休憩スペースって感じかな」
「へぇ…そうだったんですか」
「まぁ、部室を持て余してるのは事実だし、歓迎するよ。」
僕らは部員名簿に名前と学籍番号を記入した。これで正式にパソコン部の一員である。
「平日は基本的に開けてあるから、この部室は好きに使ってくれて構わない。二人はパソコンの自作とかプログラミングとかしたい?」
(実はあまり興味ないんだよな……。誘われただけだし)
二人そろって首を左右に振った。
「いえ……」
「私は高木先輩に会いたかっただけですし……」
すると、清水は少し安心したように言った。
「そうか。教えるのは大変だから、むしろ良かったよ。……もちろん、やりたかったらいつでも言ってくれ。俺にできる範囲で教えるからな」
「はい。ありがとうございます」
(清水先輩が良い人で良かった。ていうかこの部活よく廃部にならないなよなぁ……)
部の紹介が終わったところで、清水が思い出したように言った。
「ということは、黒江さんはオーグの為に来たんだよな? アバターの紹介もしとくか」
「あ、はい。そうですね」
三人そろってオーグを起動する。現実世界にデジタル世界が重なって表示される。
それぞれの前にアバターが出現していく中、僕は驚いて声を上げた。
「えっ! なんで!?」
新しく出現した3人のアバターとは別に、もう一人アバターがいたからだ。
そのアバターとは、僕の雇い主「ミドリ」だった。
第5話 アバター紹介
アバターの自己紹介のためにオーグを起動した僕たちは、デジタル世界の部室にいる4人目に気付いた。
「えっ! なんで!?」
それは僕のバイトの雇い主である「ミドリ」だった。
デジタル世界が現実と重なっている以上、オーグを起動したときに他のプレイヤーやモンスターが目の前にいるということは稀に起こることではある。しかし、故意にデジタル世界から現実世界のストーキングを行うことはプレイヤーの誰もが理解している重大なマナー違反だ。最悪、警察沙汰だってあり得る。
だから僕はまず、ストーキングされたものと思った。
が、黒江と清水先輩からは、意味合いの違う驚き声が上がった。
「あ!先輩いたんですか!」と黒江。
「そうだ!すっかり連絡を忘れてた!」と清水先輩。
それから三人合わせて。
「「「……えぇ……!」」」
何が何だかわからない。
当人のミドリは沈黙したまま動いていない。
黒江と清水先輩がそろって僕を見る。
「直紀も先輩と知り合いだったの!?」
「え……? ミドリさんは僕のバイトの雇い主だけど……?」
「!……ということは月村さんが最近メッセンジャーに応募してくれた人なのか!?」
「そっか……。直紀はミドリさんのリアルを知らなかったんだね。彼女が副部長で私のお客さんの高木緑先輩だよ」
どうやらストーキングされたわけではないらしい。
三人は別々に高木緑と知り合っていたということだろう。
「そういえば、清水先輩。さっき何か忘れてるとか言ってませんでした?」
「あ……。そうそう、高木から頼まれてたんだよ。『もし入部希望者が来たらメールで教えって』てさ。昼前に部室にアバターだけ置いていったんだよ。誰も来ないと思ってたからすっかり忘れてた」
そこで先輩は言葉を切ってミドリを見た。僕らもつられて見てしまう。
「だから無反応で立ってるんですね」
おそらく今はアバターの操作をしないでオーグを起動したまま放置して、講義でも受けているのだろう。清水先輩がメールで入部希望者がいると連絡すれば、ARグラスのホロウィンドウやVRモードを使ってアバターの視界を見つつ、ゲームパッドで操作する予定だったのだろうか。
清水先輩が僕らに向き直って言った。
「高木に連絡しても良いけど、講義の邪魔をするのは良くないな。 俺たちで先に自己紹介しようか」
「そうですね。高木先輩はそれぞれ知っているみたいだし、直紀と清水先輩のアバター気になるなぁ!」
「確かに気になるね」
「じゃあ、俺からだ」
そういって清水先輩はソファから立ち上がってアバターの隣に立った。
「アバターネームは『デル』だ。戦闘はほとんどしないが、クラフターをしている。ステータスはCR(クラフト)」に極振りだな」
清水先輩とアバターの顔はほとんど同じだ。オーグのアバターはスマホで撮った写真からモデルを生成できる。ほとんどの人はアバターの顔を、自分の顔より少しイケメンにしたり可愛くしたりカスタマイズして使っている。
デルの服装は全体的に暗めの青色を基調として、ローブのようなロングコートのようなものを着ていた。
(なんか……。魔法使いっぽい?)
しかし、オーグには特殊な効果の付いたアイテムはあるが、魔法は存在しない。デルは不思議な見た目をしていた。
「じゃあ次は私ねー」
黒江もアバターの隣に移動した。
「アバターネームは『ベリー』だよ。さっきも話にでたけど、雑貨屋をやっててアイテムを沢山持ち運ぶためにSTR(ストレングス)とVIT(バイタリティ)を上げてるの」
STRを上げると筋力が増えるため、ストレージの容量が増える。VITを上げればHPが増えるため、倒され難くなる。しっかりとステータスを考えているようだ。
黒江とベリーの顔もやはり酷似しているが、ベリーは赤い帽子をかぶっていた。服装は黒いジャケットと紺色のジーンズという恰好だ。
(帽子以外はカッコいい感じだな)
(次は僕の番だ)
「僕のアバターネームは『ダートム』です。戦闘は苦手なので観戦ばかりしてました。レベルは低いんですが、一応、AGI(アジリティ)がメインでDEX(デクステリティ)とCR(クラフト)にも振っています」
「へぇ…。ダートムはオールラウンダーなの?」
「いや……オールラウンダーじゃなくて器用貧乏だよ」
黒江が言ったオールラウンダーとはつまり、偏り無くステータスを上げてどんな場合でも対応できるようにするスタイルだ。オーグではレベルの数値よりアイテムの方がキャラクター構成に影響を与えやすいため、入手したアイテムによってキャラクターの育成方針が大きく異なる。そのため、オールラウンダーは少ない。
(それに……たかがレベル10じゃあ器用貧乏ですらない)
僕のマイナス思考を察したのか、清水先輩が声をかけてきた。
「そんな悲しそうな顔するなよ。それにキャラクターのステータスだけが勝敗を決めるわけじゃない」
「あ……はい。そうですよね」
(確かに二人の装備はどれもレアリティ高そうだな)
デルとベリーからはベテランプレイヤーな雰囲気が漂っていて、言葉には説得力があった。
第6話 意外な真価
アバター紹介も終わり、雑談していると道路を挟んだ向かいの校舎からチャイムが聞こえてきた。
「あ……もう高木の講義が終わる時間か」
と清水先輩が呟いた直後、それまで沈黙していたミドリさんが声を発した。
「やっと終わった~。結局入部希望者は来なかったのねー」
そう言って辺りを見回したミドリさんは僕と黒江を見るやいなや、再度動きを停止した。
「…………。 なんでダートムがここに……? ちょっと待ってて」
それっきりミドリさんはまた沈黙した。
数分後。
部室の扉が勢いよく開け放たれて高木先輩が入ってきた。
「まさか新入部員がダートムだったなんて……。 いやその可能性も十分ありえる話では……」
なにやらぶつぶつ独り言を言っている。
そんな彼女に清水先輩が声を掛けた。
「悪いな高木。講義の邪魔になると思ってメールを送らなくて」
「大体そんな事だろうと思ったわ。蒼矢は真面目なんだから……」
高木先輩は清水先輩を軽く拗ねたような目で見ている。
(あれ……? この人がミドリさんのリアル? ……僕と話してた時より子どもっぽいな)
清水先輩とは仲がいい様子だった。
高木先輩は僕に向き直った。
「あなたがダートムのリアル?本当はリアルでは会うつもりはなかったんだけどね。 私は3年の高木緑よ。よろしく」
「はい。1年の月村直紀です。 ……明日会う予定でしたけど、今日会ってしまいましたね……」
微妙な空気になっていると、黒江と清水先輩がことの経緯を高木先輩に説明してくれた。
数分後。
話が終わって経緯を理解した高木先輩は何かを思い出したように僕を見た。
「昨日のアンドロイドとの腕試しの後で、あなたが戦闘で勝てる方法を考えてみたんだけど……面白いことに気付いたのよ」
そう言って彼女は悪戯を思いついた子どもみたいにニヤリと笑う。
「え……!? どうすれば勝てるんですか!?」
「ふふ……♪ まぁまぁ。とりあえずダートムでジャンプしてみて?」
「え? い、良いですけど……?」
僕たち4人はスマホやコントローラーを取り出しVRモードを起動して椅子に座った。
オーグはVR装置が無い場合はゲームコントローラーやスマホ、ARグラスで表示したホログラムのキーボードなどでアバターを操作できる。
4人のアバターはミドリさんに促されるまま部室を出てきた。
「デル(蒼矢)とベリー(黒江さん)はダートム(月村さん)の装備とステータスは大雑把にしか知らないのよね?」
「あ、はい。レベルが低くて、AGI(俊敏性)を主に上げてるとか……」
とベリーは訝しげに答える。
すると、満足そうに頷いたミドリさんは、僕に高くジャンプするように手で促してくる。
「この前の腕試しみたいにロングジャンプして!」
「あ、はい。わかりました」
僕は大きく足を曲げて力を蓄えてから地面を蹴り飛ばした。
軽いアバターは思ったとおり、真上にはじけ飛んでいく。
「「ええ!」」
様子を眺めていたベリーとデルはそろって驚きの声を上げつつ僕を見上げている。
数秒後、僕は着地するとミドリさんはベリーとデルに質問をしていた。
「ダートムのSTR(筋力)値はいくつだと思う?」
「えっと……? あんなに高く跳べるってことは少なくとも50はある? でもレベルは低いって言ってたし装飾品でSTRを上げてるの?」
デルも頷いているから同意見らしい。
ベリーのその回答を聞いたミドリさんは僕の方を見てきた。
(あぁ。そうか)
僕はミドリさんの考えを理解した。
「STR値は1だよ。その代わり軽いんだ」
「え! 1なの!?」とベリー。
「なるほど!そういうことか!」とデル。
つまり、ミドリさんの考えはこうだ。
STR(筋力)は、上げれば上げるほどジャンプ力が高くなる。よって、数十メートル跳ぶということはSTRをかなり上げなければできない芸当だ。ダートムのステータスを知らない人はロングジャンプを見てSTRが相当高いと思い込む。だが実際にはSTRは1しかなく、重量軽減ベルトで自重が軽くなっているだけなのだ。
(この思い込みは確かに使えるかもしれない)
「戦闘相手は僕のSTRが高いと思い込み近接攻撃を何としても回避するはず。それで隙を作るってことなんですね!」
「そういうこと! 相手に本当のSTR値がバレないように立ち回る必要があるけど、これは使える戦法だと思うの!」
そうして僕たちは作戦を考え始めた。
第7話 クラフターの熱意
「その重量軽減ベルトを分解させてほしい!」
清水先輩は僕のベルトの効果を知ったとたん、目をキラキラさせながらそう言ってきた。
「え!? 分解? それはどういうことですか?」
「説明が難しいから、順を追って話そうか。オーグのクラフトシステムについてはどれくらい知ってる?」
「クラフトには設計図、素材、プログラムの三つが必要ということだけです。自分でしたことはありません」
「コホンッ」
咳払いすると清水先輩は急に生き生きとした表情で語りだした。
「そうか。補足すると、設計図というのは作りたいアイテムの外見を3Dモデルとして形作るものだ。そして、素材とはオーグの中で手に入るアイテム、例えば、金属やギア、モーターなどのことだ。これらは『内部パーツ』と呼ばれ、これ以上分解することはできない。プログラムはフローチャートのように比較的簡単に作ることができる。モーターを素材として使うと、フローチャートで『モーターを回転させる』というプログラムが使えるようになるんだ。よって、内部パーツが無ければまともにプログラムを組むこともできない」
「へ~。それなら素材さえあればクラフトではどんなアイテムでも作れるんですね!」
「そうはいっても、クラフトはそんな万能なものではないよ。ステータスのクラフトレベルが低いと、アイテム生成に時間がかかる。また、プログラムの容量はクラフトレベルに比例しているため、レベルが高くないと複雑な物は作れないんだ」
「なるほど。結構制限があるんですね」
「ああ。しかも、普通は戦闘で素材を手に入れつつクラフトレベルを上げるのは至難の業だ。だが、俺はアイテムクラフトの依頼を受けて、その報酬でポイントを受け取り、レベルを上げてきた。だからこれまでほとんど戦闘をしていない」
「それでアバター紹介でクラフトに極振りと言ってたんですか」
つまり、アイテムクラフトのプロということだ。
「そう。それで本題なんだが、一度完成されたアイテムはダメージを受けると耐久値が減っていくだろう? 耐久値が0になれば当然消えてしまう訳だ。でも、俺は物理法則に則って丁寧に分解すると耐久値が減らないことに気付いたんだよ」
そこで言葉を切ると、どこか恍惚とした表情をして話を続ける。
「前に、居ても立っても居られなくなって、高木に協力してもらってモンスターのアンドロイドを一体捕獲してみたんだ。それで、分解してみたら、ロボットの構造がほぼ全て再現されていた。しかも分解したそばから部品はアイテムになった。それで確信したよ。このデジタル世界の物質はほぼ全て物理法則に則っていることに。」
(本当かよ……。モンスターを捕獲したなんて聞いたこともない)
ふと高木先輩を見ると、当時を思い出したのか物凄く険しい顔をしていた。よほど苦労して捕獲したのだろう。
清水先輩はそこで正気に戻ったような顔をした。
「つまり、魔法が存在しないデジタル世界で、特殊な効果を持っているアイテムは、何らかの仕掛けがあるはずなんだ。異常な現象を発生させるアイテムは大抵、その現象を引き起こすためのナノマシンを散布している可能性が高い」
「なるほど。だから僕の重量軽減ベルトも分解したいんですね」
「そういうことだ。……だから頼む! 分解してみたいんだ! なんならそのベルトを材料にして新しいアイテムにしても良い!」
(清水先輩人格変わりすぎだろ……! クラフトオタクっていうよりデジタル世界オタクなのかな……?)
「ダートム、いえ、直紀君。蒼矢はすこし残念なやつなんだけど、クラフトの腕は確かよ。せっかくだからあなたの指輪と一緒に改造してもらえば良いんじゃないかしら?」
「指輪? 月村さん。指輪って?」
「『静寂の指輪』といって装備すると足音とかを小さくしてくれる装飾品のことです」
「ふむ……。音を小さくするのか。それも見てみたいな……」
「そこまで言うのなら……良いですけど。でも間違って壊したりしたら弁償してくださいよ?」
「ああ! もちろんだよ!」
そう言って嬉々としてベルトと指輪を受け取ると作業机に駆けて行った。
「蒼矢はああなるとしばらく何言っても駄目ね……」
高木先輩が何かを諦めたような表情でそう言った。
「清水先輩ってアイテムのことになると人が変わりますよね」
黒江は顔を引きつらせて苦笑交じりに呟いた。
(世の中には変わった人がいるんだなぁ……)
「ところで直紀君。 私、あのベルトのデメリットについても考えたの」
「え! 直紀のベルトってデメリットとかあるの?」
「ああ。黒江も使ってみればすぐに気付くと思うけど、あの重量軽減効果は重い攻撃ができなくなるし、敵にちょっと殴られただけでも結構大きく吹き飛ばされるんだよ」
「そうそれ! この前の腕試しのときは重い一撃を出すために高いところから落下して威力を上げていたけれど、もっと良い方法を思いついたのよ」
「「もっと良い方法?」」
僕と黒江は揃って首を傾げる。
「簡単な話よ。オーグでは攻撃の威力が速度や重量によっても変わるのよね? なら、軽くても加速度があればそこそこ威力がでるはずでしょう?」
「ああ、なるほど。物理でいうとF=maというやつですね。 力(F)は質量(m)×加速度(a)だから、別に落下しなくても、速く動いていれば良いってことか」
「そういうこと!」
「でも直紀ってAGI(敏捷性)も低いんだよね?」
「黒江の言う通りだよ。高木先輩。僕はAGIも低いので早くは走れませんよ?」
「ふふふ……♪ そこがポイントなのよ。オーグでは、ジャンプ力はSTR(筋力)とAGIの二つが影響するから高く素早く跳ぶには本来その二つのレベルを上げる必要があるんだけど、さっきジャンプしたダートムはSTRもAGIも低かったのに一瞬で上空に跳んだでしょ? つまり、接地面に対してほぼ垂直に力を加えるジャンプなら、走るのとは違って力が上と前に分散しないから、速く動けるってことなの」
「……じゃあ、走るんじゃなくて、壁を蹴って相手に高速で接近して攻撃すれば良いってこと……?」
「まぁ、簡単に言えばその通りね」
言葉では簡単に言えるが、実際これはかなり難しい。地面に垂直に立っている壁を蹴ったとしても重力で落ちるわけだから、角度を斜め上にしておかないと敵にたどり着く前に地面に墜落してしまう。おまけにVR装置で操作する場合、かなりの運動神経が必要になる。
(でも、使いこなせれば、レベルが低い僕でも戦えるかもしれないな。……敵を前にして動ければの話だけど)
考え込んでいると突然、黒江が拗ねたような顔をした。
「いいなー。直紀は色々教えてもらえて」
高木先輩が僕の話ばかりするから面白くなかったのかもしれない。
「あぁ、ごめんなさいね。でも黒江さん(ベリー)はもう十分強いんでしょう?」
黒江は雑貨屋の品物を自分で敵を倒して仕入れているため、実際かなり戦えるらしい。以前聞いた話によると中遠距離ではサブマシンガンを乱射し、中近距離ではマチェット(中南米の蛮刀のこと。マチェーテともいう)を振り回す戦闘スタイルなんだとか。
(どおりで荒々しいわけだ……)
「ちょっと直紀! 今なんか失礼なこと考えてたでしょ!」
「え! そ、そんなこと考えてないよ!」
(しまった。 顔に出てたか!)
「まぁ確かに?自分でいうのは何だけど、私は強いと思うよ? けど、直紀は絶対私のこと女子だと思ってないでしょ!?」
黒江はますます不機嫌になっていく。
(えぇー。黒江ってそんなこと考えてたのか……。気さくに接しすぎたのかもしれないなぁ)
「わ、悪かったよ! 配慮が足りなくて。……以後、気を付けます……」
高木先輩はそんな僕らを暖かい目で眺めていた。
この日、僕は清水先輩や黒江の意外な一面を見ることができたのだった。
第8話 応用と進化
土曜日。
当初からミドリさんのベースルームに集まる約束をしていた僕は、自宅からオーグにログインした。アバターは以前設置したログインマーカーがあるため、直接その座標に出現できる。
ドアを開けた僕は驚いた。
「あれ!? ベリーとデルさんも来たんだ」
「おー直紀、じゃなかった。ダートム。私も前にここに来たことがあってさ。面白そうだから来ちゃった」
オーグ内ではなるべく現実の名前は言わないことがマナーとなっている。が、顔の造形が現実とアバターで似ている場合、うっかり現実の名前を呼んでしまうことがある。
(ミドリさんがメールで教えたのかな? 一応バイトとして来たんだけどな……)
今日は本当なら、メッセンジャーとして戦闘力不足の僕がまともに仕事ができるように作戦会議をする予定だったのだが、戦い方の工夫については昨日既に話していたため今日はその続きだ。
ミドリ、ベリー、デルの三人は部屋の左隅にある工房に集まってなにやら話をしていたらしい。
「ああ、ダートム。いらっしゃい。待ち合わせ時間ぴったりね」
時刻は午前10時だ。
「こんにちは。ミドリさん。今は何をしているんですか?」
「それが、昨日あなたが渡したベルトと指輪。中身の仕組みが分かったらしくて、デルが騒いでたのよ」
椅子に座ってぶつぶつ独り言を言っていたデルが、勢いよく振り向いて僕を見た。
「このベルトと指輪はなかなか面白い仕組みだったよ」
机の上には分解した後で組み立てなおしたのだろうか。工具と一緒に『重量軽減ベルト』と『静寂の指輪』が置かれている。
「どういう物なんですか?」
「俺が予想した通り、二つともナノマシン(粒子)を散布していたよ。ベルトはバックル、指輪は宝石からそれぞれ発生しているらしい」
「まぁ、そこしか仕掛けがありそうな所は無いですよね」
「ああ、その通りだ。で、効果なんだが、どちらの粒子も接触した対象の表面を覆うような特性が確認できた。ベルトの粒子は重力と反発しているということしか分からなかったけど、指輪の粒子は細かく分析できたよ。これは粒子同士が結合して膜を作っているんだ。それで粒子が空気の振動を吸収しているから装備者の音が減少するってことらしい」
(正直、何がすごいのかよく分からない)
ARグラスに搭載された表情トラッキング機能が忠実に動作して、ダートムの顔を僕と同じく苦笑いさせる。ミドリさんもベリーも似たような顔をしていた。
反応に困っているとミドリさんが助け舟を出してくれた。
「要するにデルは何がしたいの?」
その言葉を待ってましたとばかりに興奮した様子で頷く。
「そう! 問題はそれなんだ! この指輪の効果は単に音を消す以外の使い道があるんだよ」
「『音を消す以外の使い道』……ですか?」
「うん。普通に指に付けただけだと、粒子の濃度が足りなくて足音を小さくする程度しか振動エネルギーを吸収できない。だけど、発生し続ける粒子を密封して圧縮してから一気に放出すれば、かなりの量のエネルギーを吸収できると思う」
そこでベリーが異議を唱えた。
「でも先輩、それって一瞬だけ無音になるだけなんじゃ?」
「いや、これは音を消すんじゃなくて、防御に使うんだ。音と同様に、熱や風圧もこの粒子なら吸収できるはず」
「つまり……爆発を防げる?」
ミドリの言葉にデルが大きく頷く。
「それで、ダートムの弱点を補えて、なおかつ、戦闘スタイルと相性が良いアイテムを考えてみた」
ストレージから設計図を取り出すと僕に渡してくる。
「これは、ガントレット(籠手)ですか?」
その設計図には左右非対称の一対のガントレットが描かれていた。左腕の方がやたらと大きく、頑丈に作られていて、右腕は薄くて軽そうだ。
「ただのガントレットじゃないよ。左腕に爆発反応装甲(リアクティブアーマー)を付けたんだ。静寂の指輪を左腕に、重量軽減ベルトを右腕に埋め込む」
「りあくてぃぶ……ってなんですか先輩」
ベリーが怪訝そうに質問した。
「簡単に言うと、砲弾を受けたときに爆発して攻撃の軌道を逸らす装甲のこと。本来なら生身じゃなくて戦車に付けるようなものなんだけど、さっき言った指輪の効果を上手く使えば、生身でも爆発によるダメージを軽減して使えるはずだ。ただし、『音を消す』っていう効果は使えなくなるけどね。それと、ダートムなら小さな爆風でも吹っ飛ぶことができるだろう?」
そう言ってニヤリと笑う。
腕の籠手で爆発なんて起こしたら普通は腕ごと吹き飛びかねない。だが、確かにリアクティブアーマーなら攻撃を回避できなくても防御可能だ。さらに、爆風に乗って敵と距離をとることもできる。
感心したようにミドリさんが設計図を見つめる。
「誤爆さえしなければなかなか良いアイテムね。今、ダートムのアイテム保護枠はベルトと指輪の二つがセットされているけど、メッセンジャーなら保護枠には最低でも1つ荷物を入れるわけだから、二つの装飾品を合体させるのは良い判断だわ」
ダートムの弱点である『緊張すると動けなくなる』ことは昨日話していたが、それをしっかり考慮して、2つの装飾品を一つに合成することで保護枠を一つ空けることまで想定されている。このアイテムを設計したことが、彼がプロのクラフターということを物語っていた。
デルさんは急に真面目な顔になって僕とミドリさんを交互に見た。
「気に入ってもらえたようで良かった。……お願いだ。指輪とベルト以外の材料は全て俺が用意するから、それを作る代わりに、今後メッセンジャーとして襲撃されたときに手に入れた戦利品を、俺にいくつか融通してくれないか? 頼む!」
こんな複雑なアイテムを実質無料で作ってもらえるなんて願ったり叶ったりだが……。
「ぜひ、お願いします。と言いたいところだけど……」
(僕はそもそもミドリさんに雇われてるだけなんだけどなぁ。というか、清水先輩もメッセンジャーの仕事について色々と知っていたのか……)
そう思って雇い主を見てみると、彼女は盛大に呆れた顔をしていた。
「あなたねぇ……。そもそもこの工房が、私が買ったベースルームを半分も占拠していることを忘れてるんじゃないでしょうね?」
「え! 今それを言うのは卑怯だろう! ここを借りる代わりにミドリの装備をほとんど作ってやったじゃないか!」
「それはそうだけど……。いくらなんでも図々しいっていってんのよ!」
二人の口喧嘩を僕とベリーはただ唖然と眺めることしかできないのだった。
数分後、喧嘩にはミドリさんが勝ったようで、デルさんは悔しそうにしていた。
そんな二人を見ていたベリーはというと。
「あれ……? 部長より副部長の方が強いの……?」
と独り言を言っていた。